リーダーの熱量に従業員はついていけない
ネット上の検索エンジンで「部下 やる気」と打つと予測変換はまず「言葉」、続いて「○○の方法」「モチベーション○○」と続く。「どうすればウチの従業員たちは、もっと仕事に打ち込んでくれるんだろう」という悩みは、多くの経営者や管理職にとって、共通の悩みではないだろうか。あくまでも傾向だが、組織では上に行くほど仕事に対するロイヤリティーが高く、下に行くほど仕事や組織に対する熱意は低い。
多くの場合、経営トップの熱量に、従業員はついて行けていない。直接従業員をマネジメントしているベンチャーや中小企業経営者や大手の中間管理職は、予測変換にあらわれているように、部下をやる気にさせる方法に苦慮している。
今回は上司が部下に対してかけている言葉に注目したい。何気なく使っている言葉にも上司側の意識構造が隠れているし、受け手である部下に起きる作用・反作用についても考えてみたい。
我々がコンサルティングの現場で対峙する管理職のみなさんが、よく使っていたという言葉の例は以下の通り。みなさんも使ったことがあるのではないだろうか。これらには一定の効果があると見られがちだが、反復と継続的使用によって組織マネジメントに弊害をもたらす危険性がある。ひとつひとつ考えていこう。
NGワード1 「わたしがやっておくから大丈夫」
成長の遅い新人や、何度言っても習得してくれない部下に対して使っているこの言葉。上司側の本音は「何回、言ったらわかるのだろうか」「早くやってくれないとチームパフォーマンスにも影響する」「強く指摘して厳しく接したいところだが、あまり刺激すると最悪やめてしまうかも……。それはそれで面倒だし……」といったところだろうか。
このような意識から、「自分が巻き取ってしまえばよい」となり、上司が部下のタスクを肩代わりして速やかに事態を収拾する。経験のある上司が実行するのだから自体は瞬く間に解決するし、時と場合によっては、部下からの尊敬も得られるかもしれない。
そばにいて困っている時に助ける、フォローすることが女性ならではの感性であり、女性管理職のきめ細かいマネジメントだと考えがちだが、「わたしがやっておくから大丈夫」にはいくつかの留意点がある。ひとつは、部下側に付帯している責任範囲に上司が介入していることから、上司部下間の責任範囲にズレが生じること。本来、上司部下間の責任範囲は固定されていてしかりだが、このズレによってお互いの免責=言い訳箇所が生じる。
部下側はいつも責任を巻き取られているため、本来の自責範囲を錯覚し、「いつも上司の○○さんが巻き取ってくれたのに、今回はなぜ手伝ってくれないのだろうか」となる。上司が部下のタスクを巻き取らずに、本来の責任範囲で部下に業務遂行を命じた時、不満といった感情的関係が成立してしまうのだ。結果、上司は(その人の性格によるが)、巻き取らずに責任範囲を忠実に管理した場合に起きる部下の不満に目が行き、常に介入することを余儀なくされる。こうして、部下は責任範囲を狭められた状態で仕事をする期間が長くなればなるほど、成長を阻害されることとなる。
部下の人気取りをしていないか
一方、二つ目の危険性は、上司側の意識に起きる変化だ。前述の通り、例えばクレーム対応などを鮮やかに解決した場合などは部下からの羨望を得やすい。本来上司が存在意義を獲得すべき対象は、そのまた上の上司であり、部下からの存在意義を獲得する必要はない。しかしながら、尊敬や羨望を用いて部下から存在意義を得てしまうと、集団を統制管理できている錯覚を起こす。この状態が悪化すると、常に部下に気に入られていないといけないという意識に展開し、人気取りや機嫌取りの手段として「わたしがやっておくよ、大丈夫」を使うようになるため注意が必要だ。上司が人気取りに走っている組織は、はた目からは雰囲気がよく見えるため内情を認識しにくい。冷静に業績などで見た際、実はパフォーマンスがあがっていない組織になっていることが散見される。
「わたしがやっておくよ」と部下の責任範囲に出張るルールを管理者自身が設定しておく必要がある。事案や金額、クレームの種類など。そして上司が出張ることは、部下の成長の阻害を含め、必ずしも組織パフォーマンスの向上につながらないことを理解しておくべきである。
NGワード2「最悪、私が責任持つから大丈夫」
上記の「わたしがやっておくよ」に比較すると、実行自体は部下に任せているので一見、懐の大きい上司のイメージを持つかもしれないし、部下側も上司がそこまで言ってくれるならと勇気をもって業務に取り組むことができる、といったメリットがあるように見える。
責任には2種類あり、実働責任と結果責任に分けられる。前者はファーストフードなどいわゆる完全にマニュアル化された業務遂行に付帯する責任である。つまり、実行するスタッフはマニュアル通りに業務を“実働”することが責任であって、その実働から生じた結果に責任は負わない。ポテトを200℃で揚げる実働責任は負うが、売れるか売れないか、美味しいか美味しくないかという結果には責任を負わない。
読者が抱える部下の多くが、この実働ではなく、なんらかの結果責任を負っている部下である、という前提を置くと、「最悪、私が責任持つから大丈夫」は、明らかに生じた結果に対して上司が責任を負いますよ、と言っている。これは誤り。
前述の通り、上司部下間には責任の範囲が明確に区切られていなければならない。責任の範囲とは、いつまでにどんな結果をもたらすかと同義であり、この果たされるべき結果に上司が責任を負う、ということは、部下の意識に「やらねばならない」感覚を欠如させてしまう。
ある女性経営者は自分のマネジメントスタイルについて「男性に比べて心配性かもしれません。ゆえに、部下の仕事に細かく手直し介入しがち。ひとまずやらせてみて失敗させてみようというマネジメントが弱いかもしれません」と言う。そこで一念発起して部下に勇気をもって取り組ませるための言葉をかけたつもりが、逆に部下の責任感を失わせる危険性があるのだ。仕事は部下の責任範囲で結果に到達しなければならない。
NGワード3「○○さんなら大丈夫、できるよ!」
昨今、個人競技の指導者がこのような言葉でプレーヤーを鼓舞する、勇気づける、といったシーンを見るようになった。メディアでも選手に寄り添ってパフォーマンスをあげている「良いコーチ」という一定の評価が下されているようだ。これは我々のコンサルティング現場でも目にするシーンだ。
部下の意欲向上を常に熟慮し、口ぐせは「部下の気持ちに火をつけろ」だったりする。人の意識にモチベーションが存在することは否定しないが、外側から意欲をあげにいく手法は、「鼓舞されないとやらない」「勇気づけないとできない」部下になってしまうデメリットがある。フルコミッションなどの給与体系下では機能する可能性があるが、部下の意識が、成果を出すと報酬が発生するという基本的な順序が正しく認識できなくなるので要注意。
また、何によって意欲が向上するかは、その部下個々の価値観に依存する。顧客評価の人もいれば上司の称賛という人もいて、単純にお金の人もいれば、細かい努力を見てほしい、という人もいるだろう。個人競技では成立するかもしれないが、集団を管理していく上で、一人ひとりの価値観に合わせたマネジメントを展開するというのは、時間的にも労力的にも限界があることを理解しよう。
NGワード4「○○って、社長が褒めていたよ」
部下の動きをよくするために自分以外の権威を利用することはないだろうか。「社長が褒めていたよ」については、より権威のある人間からの称賛を部下の意欲を高めていくために使用している。これは社長に権威があればあるほど効果的だ。また、逆に部下の言動を修正したい、引き締めたい場合に「社長に言っておくね」と軽い告げ口というか脅しというか、そういう狙いで上位者を持ち出すことがあるかもしれない。これも、社長に言われてしまってはまずいという感覚が生じるため、その瞬間の管理統制には効果があると考えられる。
瞬間的効果を経験し“味をしめてしまう”のがこの手法の特徴だが、繰り返しによってあなたのマネジメント力をそいでいく。自分より上位者の権威を用いてマネジメントしているのだから、徐々に部下の意識はその上位者に向き、あなたとの上下関係は意識上希薄化していく。最後には上司を用いないと指示が通らないという展開になってしまうのだ。
部下への“声がけ”は必要ない
今回例示した「言葉」は一例だが、いかがだろう。部下がうまくできるか心配、なるべくうまくいくように導いてあげたい、細かく見てあげないと……など、みなさんが良かれと思って投げかけている言葉にはさまざまな意識が隠れている。また、それを受け取る部下にもさまざまな反応が起きる。より深く探っていくと、管理者も人間だからベースにある意識は、いい人でいたい、好かれていたい、嫌われるのはどうしても抵抗がある、ということかもしれない。
一般的に女性の方が、共感性が強いとすると、部下の気持ちも理解できる反面、管理職という立場もあるし……というギャップに苦しむこともあるだろう。ではいったい上司は部下にどんな言葉をかけて、組織を率いていけばいいのかと疑問に思われる方もいるかもしれないが、結論、声がけは必要ないのだ。上司から部下に投げかけるコミュニケーションは原則、①「指示」(つまりは明確な目標の設定)と②目標に対して生じた差分をどのように改善するか考えさせる「問い」、そして③どの程度、目標に到達したかの「評価」を正しく伝えるだけでよい。冷たい印象を持つかもしれないが、集団を率いて成果を出すという本来の目的に立ち返った場合、余計な声がけがパフォーマンス低下をまねくことはここまで見てきた通りだ。
重要なのは褒める基準
あえていうなら著しい成果に対して称賛する言葉をかけてやればよい。かつて会社員だったころ、私の上司は著しい成果を出すと「まあまあだな」という言葉をかけてくれた。実はこの「まあまあだな」が彼の中で最上級の賛辞であったのだが、数値的に言うと150%くらいの達成度でようやくこの言葉をかけてもらえたと記憶している。つまり、「滅多にない賛辞」であるのだが、部下とコミュニケーションを取らない上司、褒めない上司、といった印象はまったくない。むしろ、滅多にないという希少性が、上司の誉め言葉に力を持たせていた。
滅多にない賛辞を獲得できたという達成感は内発的動機が発生する重要なトリガーであり、その証左として、この上司が率いる組織は常にメンバーが高い基準を追及し、結果的に組織パフォーマンスを高めていった。管理者が明確な基準をマイルールとして持ち、超えてきた部下を徹底して褒める。言葉の表現ではなく称賛する基準が重要なのだ。