10月24日から始まった臨時国会は、冒頭から大混乱となった。騒ぎの張本人は高市早苗衆院議院運営委員長。あまりにも唐突に国会改革の私案を与野党に提示。円滑な議会運営をリードするはずの議運委員長が、国会を空転させる原因をつくったのだ。高市私案とはどんなもので、何のために出てきたのだろうか――。
10月29日、衆院議院運営委員会の理事会に臨む高市早苗委員長(写真=時事通信フォト)

テレビ中継が入る本会議日程が遅れるのは異例

詳細な内容を紹介する前に、この私案のインパクトがいかに大きかったかを書いておきたい。高市氏は25日、超党派で国会改革を求める「『平成のうちに』衆議院改革実現会議」メンバー、浜田靖一氏、小泉進次郎氏らの表敬訪問を受けた際、「では、まず私から皆さんに協力をお願いしたいことがある」と言って私案を示した。

「議院運営委員長として実現を目指す事柄」と名付けられた文書は

(1)ペーパーレス化の一層の促進
(2)法案審議の方法を改善
(3)衆院本会議場への「押しボタン方式」の導入

の3項目にわたり国会改革案が示されている。

その直後から野党は猛反発して高市氏の解任を要求。与党側にも十分な根回しがなかったため、自民党幹事長室や国対の幹部も大わらわとなった。

29日は午後1時から衆院本会議が開かれて代表質問が行われるはずだったが野党が抵抗して本会議の開会は遅れた。あらかじめ与野党で合意していてテレビ中継が入る本会議日程が遅れるのは異例のことだ。

11年前、安倍首相が辞任表明したときと同じ

「秋の臨時国会で首相が所信表明演説を行った後、代表質問が開かれない」という流れは、自民党議員にとって不吉な展開だ。11年前、2007年9月の臨時国会冒頭も、同じような展開があった。

その時は本会議がついに開かれぬまま、当時の首相・安倍晋三氏が辞任を表明した。参院選で敗北。そのうえ体調を崩して無念の退場だった。あまりに唐突な退陣を、当時の国民の多くは無責任と受け止め、自民党は政権政党として見放されて2年後の政権転落につながっていく。

今回は、本会議の遅れは安倍氏の進退とは全く関係なかったが、当時を知る自民党議員は、どうしても11年前を想起し「不吉」な印象を持った。