帰宅時に手が真っ青になっていることに気づいた

「会社名も日本ではまだほとんど知られていなくて、インク開発の材料を取り寄せようとすると、電話口で石油会社のエクソンと間違えられたりもしました(笑)」

(上)出社したらすぐにPCを立ち上げてメールチェック。優先順位をつけて素早く処理する。(下)部下の7割は男性だが、技術の話に性差はない。お互いに遠慮せず自由に意見を交わす。

彼女自身、最初はプリンターにほとんど興味はなく、液晶の開発部門を志望していた。だが、入社した90年からの十数年間は、プリンターの売り上げが右肩上がりで推移していく。開発チームの規模も着実に拡大し、「やったことがすべて成果になっていく面白さがありました」と彼女は振り返る。

「たくさんのお客さまから『写真のような画質』『印刷が速くて助かる』といった反響をいただいて、自分の手がけた研究が社会に広がっていく喜びを実感しました」

研究所では、目的に応じたインクをひたすら試作し、評価機で実際に印刷して評価する作業が続く。時には全く色が濃くならなかったり、インクがうまく吐出(としゅつ)されず、線や印字が途切れてしまうこともあった。

そんなときは、「開発のコンセプトとストーリー」を振り返りながら、仲間とともに実験計画を立て、地道に試行錯誤を繰り返した。「開発のコンセプト」は特許や学術論文を読み込んで得られることもあれば、化粧品や洗剤といった日用品の材料からヒントを得ることもあった。思い描いた仮説がぴったりと当たったときは、エンジニアとしての醍醐味(だいごみ)を感じた。

「作業に熱中するあまり、手袋に穴が開いているのに気づかなくて、帰宅時に手が真っ青になっていることもよくありました」

開発は長いもので5年以上の期間が費やされ、実験回数が3桁になることも多かった。インクの匂いのする研究室で作業着を汚しながら仕事を続けた日々は、彼女のキャリアの原風景となっている。

それから約20年が経ち、事業をめぐる環境も自らの立場も変わった。1度は断った課長職に再び推薦され、覚悟を決めたのは翌年のこと。さらに2年後には部長となり、同社のインク開発の全体を統括するようになった。

入社5年目にエンジニアの同僚と結婚したが、面白いことに夫のほうはプリンターのヘッド開発部門の部長だという。子どもを持たなかった2人は、社内のキャリアをほぼ同じペースで歩んできた。「会議で意見が割れると、家で議論の延長戦になってしまうこともある」そうだ。