大学で金属材料を学んでいた植野さんが配属されたのは、業務用エアコンを生産する11.7万平方メートルの巨大工場。図面の見方もわからなかった新人に過酷なミッションが下った。
植野公美子●1992年、大阪府生まれ。2014年、関西大学を卒業後、入社。金岡工場で生産する業務用エアコンや新機種開発の生産準備業務を担当。工場建て替えに伴う再編計画にも携わる。

2016年の夏のことだ。ダイキン工業に勤める植野公美子さんは連日、窓を閉め切った工場のなかで汗だくになって働いていた。

「まさに蒸し風呂でした。とにかく現場が暑くて暑くて……」と笑いながら、彼女はわずかに眉根を寄せ、灼熱(しゃくねつ)の日々を振り返る。

担当していたのは、設立50年超の歴史を持つ金岡工場の移設・移管工事。広大な建屋内に新たなライン生産設備を設置するもので、同社にとっては数十年ぶりの工場再編プロジェクトだった。

「1年かけて、いくつかのラインを設置したのですが、工事中は安全のために電気を切断していて、夏場でもエアコンがなかったんです。騒音とホコリを出さないよう、窓も閉め切ってマスクをしながらの作業。熱中症で倒れる人が出ないように、冷却剤を山のように運び込んで……。家に帰ったときは家族と話す余裕もなく、倒れるように眠りました」

完成後のライン設備では、「BSユニット」という業務用エアコンの付属機器が生産される。がらんどうになった構内に、一からラインを設置する仕事だった。

現場監督として建屋の1つを担当した彼女は当時、入社3年目の24歳。ともに働く職人や作業員は男性ばかりだった。

「私のほうが知識がないのは明らかなので、わからないことがあれば、こちらから丁寧に質問するように心がけました。みなさんから教えてもらわないと、とても仕事にならなかったです」