子会社に出向した女性社員の夫が会社を辞めた理由

その証しとなるようなキャリアを積んできたのが、医薬品事業部医薬品企画グループの柿崎桃子さんだ。獣医学部を卒業した後、アメリカ留学を経て06年に入社し、新薬開発本部に配属される。最初は抗精神病薬の臨床試験(治験)担当となった。

医薬品事業部 医薬品企画グループ 事業計画担当 マネージャー(兼)ダイバーシティ推進プロジェクト 柿崎桃子さん

「薬の効果や安全性はある程度わかっているのですが、まだ正式に承認が得られていなかったので緊張感と責任が大きかったですね」

12年、キャリアの大転機を迎える。アメリカ子会社への出向だ。問題は09年に出産し、小さな子どもを抱えていたこと。出産後は、時間内にできない仕事は他の人に頼むという柔軟性も身につけ、仕事と家庭のバランスを取っていたが、海外勤務となるとさすがに壁が高い。

「独身なら、はい行きますと即答できるでしょうけど、子どもも夫もいたので家族会議を重ねました。夫とは以前から、どちらかにチャンスが来たら片方が譲ろうと話していました。残念ながら夫の職場には休職制度がなかったので、会社を辞め少し遅れてアメリカに来てくれました」

家族一緒のアメリカ・プリンストンでの生活が始まった。仕事は日本と同じ治験の担当だったが、職場になじむまでには少し時間を要した。アメリカでは、治験を専門とする医師がいて、加えてアメリカ子会社の開発の上層部にも医師が多く、専門性の高い人たちの輪の中に入るにはそれなりの時間が必要だったのだ。

仕事以上に衝撃を受けたのが14年にプリンストンで2人目を出産したときの体験だ。出産する前日まで働き、2カ月後には復職を果たす。

「日本では電車通勤が一般的ですから生後2カ月の子どもを抱えての出勤は無理ですが、アメリカでは車通勤なので子どもを乗せて保育園に預けてから出勤できます。会社には必ず授乳室があり、搾乳した母乳を冷凍庫に置いておき、次の日保育園に持っていけば飲ませてもらえます」。早くに復職できる環境が整っていたのだ。

夫は、1年目は主夫を買って出て、子どもの送り迎えでママ友、パパ友をつくり楽しそうに見えた。しかし2年目は現地の会社に就職し、共働きの日々が戻ってきた。

「夫いわく、男は社会とのつながりがないと死んでしまうとか(笑)」

3年が過ぎた15年夏、「もう少しいたい」と後ろ髪を引かれる思いで帰国する。1番困ったのは保育園探しだった。保育園の申込期間はとっくに過ぎていたし、そもそも日本に住民票がないから申し込む権利がない。

「目玉が飛び出るくらいのお金を払って、入れるところへ入れました」

帰国後は事業計画担当のマネージャーとして、会社全体の売り上げや経費、製品の成長にかかわる仕事に就く。