▼大塚製薬の現状
・製薬業界はグローバルの競争が比較的早い業界であった。
・業界の中では「最大手」ではない状況だった。
毎週木曜日の午後2時、社員が汗をかく理由
2017年10月は例年に比べて雨の日が多かった。大塚製薬の創業の地、徳島県も例外ではなかった。徳島阿波おどり空港から車で15分、工場や研究所が立ち並ぶ工業団地に到着したときも、今にも雨が落ちそうな雲行きだった。でも、しばらくすると貴重な晴れ間がのぞいた。
それが合図になったかのように各棟で働く社員が広々とした運動場に集まってきて、体操が始まった。デスクワークで凝り固まった体を、専任のインストラクターの動きに合わせてストレッチやヨガでほぐしていく。10分経つころには額に汗がうっすらとにじんだ。
大塚製薬が07年から取り入れている「ポカリフレッシュ」の時間だ。取材日は屋外での特別バージョンだったが、いつもは働いているオフィスや工場で行っている。インストラクターが毎週木曜日の午後2~3時の間に回ってきて、仕事の手を休め、その場で8分ほど体を動かす。
「短い時間ですがすっきりします。オフィスの大半の人が参加しますね」
「事務職は肩を中心に、工場は腰を中心にと、インストラクターが職場に応じてストレッチのメニューを考えてくれるので効果が高いですね」
参加者からも好評のようだ。東京や大阪のオフィスでもポカリフレッシュの時間が設けられている。
メタボ社員600人が1年で計2トンも減量を果たした
大塚製薬は医薬品のほか、「ポカリスエット」や「カロリーメイト」などの栄養補助食品も扱うトータルヘルスケアの企業だ。健康を“売る”企業だから、社員も日ごろから健康を気遣う生活を意識している。
人事部部長補佐の田中静江さんは「ふだん運動の習慣がない人がポカリフレッシュで体を動かす気持ちよさを感じ、それが運動のきっかけになるといいですね」と言う。寒くなってきたら肩が縮こまるから広げる体操とか、飲みすぎの人のために胃を動かす体操など、毎回、テーマを変えて飽きさせないのも魅力だ。
ポカリフレッシュが始まった翌年は、メタボリック症候群の診断基準に当てはまる社員を対象に「ウェルネスプログラム」もスタートした。
「健康のためにスポーツクラブに行くのは大変なので、歩くことと食事提案が主体です。みんなに歩数計を配り、体重登録してもらって1年間の体重の推移がわかるようにしました。初回参加者は600人弱で、全員で2t分減量しました(笑)」
ウェルネスプログラムは今も継続しているし、また日ごろ歩く習慣を持つことを推奨している。
「大阪本部では『0円ジムはじめました』と貼り紙をし、楽しくやっています」
こうした毎日の運動に加え、社内外でウォーキング大会も開いている。09年に徳島県板野町で始まった「あさんウォーキングフェスタ」は今や9000人が参加する大会になっている。また空港に程近い月見ヶ丘海浜公園で開催する社内ウォーキング(3km)はすでに19回を数え、最近は愛犬と一緒に歩こうという呼びかけで参加者が増えているそうだ。
トータルヘルス企業だけに自社製品と絡めた健康づくりの取り組みも見られる。
「たとえば胃がんの原因ともいわれるピロリ菌の検査薬を販売しているので、他社に先駆けて02年から健康診断の項目にピロリ菌の検査を入れています」
そうした健康づくりの取り組みが評価され、経済産業省の「健康経営優良法人~ホワイト500~」にも認定されている。
ヒット商品「ファイブミニ」は3人の女性研究者が開発
17年1月、代表取締役社長の樋口達夫氏の名前で出された「大塚製薬健康宣言」。健康経営は、同社が社員の健康管理、健康増進を経営戦略に位置づける考え方だ。
従来の健康管理は社員が病気になることを防ぐ目的で、かかる費用はコストと捉えられがちだった。健康経営においてその費用は投資と考え、組織力の向上を目指す。もっと言えば、企業が社員の健康に投資することによって、社員の仕事のパフォーマンスが上がり、その結果、自社の業績が伸びるという経営の新しい視点、戦略だ。
今、健康経営に興味を持つ企業が増え始めている。
▼一歩先を進む「弱者の戦略」
ポカリフレッシュにせよ、ピロリ菌検査にせよ、他社が始める前に手掛ける。常務取締役の渡辺達朗さんはそれを「弱者の戦略」と説く。
「当社は今でこそグループ全体で4,5万人の企業に成長しましたが、もともとは強豪とは争わない戦略を取ってきました。人の数、財力、ITインフラ、時間で真っ向勝負しても勝ち目はない。だから人まねはしません」
健康経営も潮流になってから始めたのでは意味がない。他社に先んじて取り掛かることが重要だ。
それはダイバーシティも同じ。そういえば、手軽に食物繊維がとれるという触れ込みで1988年に販売すると、瞬く間にヒット商品になった「ファイブミニ」は、3人の女性研究者が開発した商品だった。
「当社の経営の根幹は、人の強みを活かすこととダイバーシティ。仕事の機会に男女での差はありません。この人にこの役割を果たしてもらいたいと思うから、チャンスを与えるのです。それをどう受け止めるかは本人次第」
子会社に出向した女性社員の夫が会社を辞めた理由
その証しとなるようなキャリアを積んできたのが、医薬品事業部医薬品企画グループの柿崎桃子さんだ。獣医学部を卒業した後、アメリカ留学を経て06年に入社し、新薬開発本部に配属される。最初は抗精神病薬の臨床試験(治験)担当となった。
「薬の効果や安全性はある程度わかっているのですが、まだ正式に承認が得られていなかったので緊張感と責任が大きかったですね」
12年、キャリアの大転機を迎える。アメリカ子会社への出向だ。問題は09年に出産し、小さな子どもを抱えていたこと。出産後は、時間内にできない仕事は他の人に頼むという柔軟性も身につけ、仕事と家庭のバランスを取っていたが、海外勤務となるとさすがに壁が高い。
「独身なら、はい行きますと即答できるでしょうけど、子どもも夫もいたので家族会議を重ねました。夫とは以前から、どちらかにチャンスが来たら片方が譲ろうと話していました。残念ながら夫の職場には休職制度がなかったので、会社を辞め少し遅れてアメリカに来てくれました」
家族一緒のアメリカ・プリンストンでの生活が始まった。仕事は日本と同じ治験の担当だったが、職場になじむまでには少し時間を要した。アメリカでは、治験を専門とする医師がいて、加えてアメリカ子会社の開発の上層部にも医師が多く、専門性の高い人たちの輪の中に入るにはそれなりの時間が必要だったのだ。
仕事以上に衝撃を受けたのが14年にプリンストンで2人目を出産したときの体験だ。出産する前日まで働き、2カ月後には復職を果たす。
「日本では電車通勤が一般的ですから生後2カ月の子どもを抱えての出勤は無理ですが、アメリカでは車通勤なので子どもを乗せて保育園に預けてから出勤できます。会社には必ず授乳室があり、搾乳した母乳を冷凍庫に置いておき、次の日保育園に持っていけば飲ませてもらえます」。早くに復職できる環境が整っていたのだ。
夫は、1年目は主夫を買って出て、子どもの送り迎えでママ友、パパ友をつくり楽しそうに見えた。しかし2年目は現地の会社に就職し、共働きの日々が戻ってきた。
「夫いわく、男は社会とのつながりがないと死んでしまうとか(笑)」
3年が過ぎた15年夏、「もう少しいたい」と後ろ髪を引かれる思いで帰国する。1番困ったのは保育園探しだった。保育園の申込期間はとっくに過ぎていたし、そもそも日本に住民票がないから申し込む権利がない。
「目玉が飛び出るくらいのお金を払って、入れるところへ入れました」
帰国後は事業計画担当のマネージャーとして、会社全体の売り上げや経費、製品の成長にかかわる仕事に就く。
なぜ育児にかかわる男性社員が多いのか
転勤には家族が大きな課題となる。大阪支店 医薬一課の許斐(このみ)雄一郎さんの場合、17年の夏、単身で東京から大阪に異動した。
許斐さんはゼネコンの現場監督を経て、04年に大塚製薬に転職してきた。MR(医薬情報担当者)として埼玉と東京の支店・出張所で、大学病院をメインに営業を続けてきた。2人の娘が小さいときは、優先順位を決めて効率よく仕事を進め、本人としては「育児にも積極的にかかわった」。
「子どもが生まれたばかりのころは夜、ミルクを作って飲ませましたし、土日はよく遊びましたね」
かつてのMRといえば病院に張り付き、医師が診察や手術をすべて終えた後の営業が当たり前。飲むのが好きな医師とは仕事後も付き合うから、朝から晩までの長時間労働になりがちだった。しかし今はそのスタイルはかなり変わっているという。
「お医者さんと付き合う時間よりも、提供できる情報の価値が営業成績につながることが多くなりました。病院側でMRが来院していい時間に制限を設けるようになった影響もあります」
大塚製薬は会員制サイトなどで価値のある情報を届けている。たとえば学会の講義を閲覧できるのは好評だという。また、許斐さん個人は、医師の研究のヒントとなる情報を提供し、関係づくりに努めている。
大阪転勤は課長昇進を伴う異動で、もちろん喜んで受け入れた。ただ子どもたちに会えないのがちょっとだけ寂しい。平日はLINEで連絡を取り合い、週末は東京に帰る生活だ。
「まだ子どもが小学生だから一緒に暮らしたいと思っています。とりあえず1人で来ましたが、赴任から2年以内なら引っ越しや家族向け住宅の補助が出るので、じっくり検討します」
補助が出る期間に猶予があるので、先に許斐さんが大阪に来て、慣れたころに家族を呼び寄せることが可能だ。今は12人のチームで「熱く仕事をやろう」と元気に引っ張る一方、「有休はしっかり取ってください」と子煩悩のリーダーらしく、部下たちのワーク・ライフ・バランスにも配慮を見せる。
▼自分たちが変わり、周りに伝える
許斐さんの部下にも3人の女性MRがいるように、最近は女性MRが多くなってきた。しかし田中さんが90年に入社しMRになったときは、まだ珍しい存在だった。それが、人事部に移るまでの7年半でずいぶん変わったという。
「MRの世界は女性が入ってきたから変わった部分も大きいと思います。昔はお医者さんとの面談の約束をメールで取るなど考えられませんでした。今は当たり前ですから」(田中さん)
田中さんは今、ダイバーシティ推進プロジェクトのリーダーも兼務し、柿崎さんともう1人の3人で担当している。同プロジェクトは07年に発足。誰もが長く働くためのモチベーションの向上と、制度・環境の整備の両面から施策を進めた。
社内に「イクメン・イクボス・イクジイ」養成セミナー
モチベーション向上の施策には、管理職や女性自身の意識を変えるための「ダイバーシティフォーラム」、結婚、妊娠、出産した女性MRや女性営業職に育児の情報を共有する場を提供する「Otsuka Women’s Workshop」、女性管理職が始めた「自主的リーダー勉強会(WING)」、「イクメン、イクボス、イクジイセミナー」などがある。
なかでもWINGはボトムアップで始まったユニークな勉強会だ。事業や経営について学ぶほか、アンガーマネジメント、マインドフルネスなど時流に乗ったテーマも多い。今は管理職でなくても参加でき、男性も含めて40人弱のメンバーがいる。
「自分たちもかかわれるダイバーシティ。会社への提案も可能です」
男性社員が育児休暇を申請し、上司が対応に困るというケースを自分たちでシナリオにして映像化するといった面白い試みもあった。また最近は、年齢やホルモン変化による気分や体調の波を知り、それに向き合いながら仕事を続けていくノウハウを伝える「働く女性のための健康セミナー」にも力を入れる。
「昇格のチャンスで、体調が悪いからと断るのはもったいない」
セミナーでは、40歳以降の女性の“ゆらぎ期”をサポートするサプリメント「エクエル」の開発途上で得たノウハウが役立っているようだ。同社は執行役員こそ女性比率が15.2%と高いが、管理職比率では8.9%と特別な数字ではない。
「順当に評価した結果と受け止めています。全体の女性社員の比率が22.4%(数字は16年12月現在)で勤続年数も男性より短く、数値を持つと女性の底上げをしたくなるのであまり気にしません」
一方で、渡辺さんのように女性管理職を嘱望する声もある。
「当社では、ゴールは同じでもそこに至るやり方は比較的自由。女性の管理職が増えれば、やり方にバリエーションが出てドラスチックに会社が変わっていくと考えています」
女性が働きやすいよう制度・環境はかなり整っている。モチベーションを鼓舞する施策も継続している、あとは長く働く女性が増えれば自然と女性の管理職は増加するだろう。17年は事業所内保育所にも手を付けた。「ビーンスターク保育園とくしま」の増築だ。子どもたちに提供するプログラムや食事に大塚製薬らしさが見て取れる保育園。これまで定員は150人で、大塚グループ企業の社員の子どもを受け入れてきたが、今後も園児が増える見込みで72平方メートル増床し、定員も210人と、日本最大級の規模になる。
「働くママだけでなく、パパも安心して働ける保育園です」(田中さん)
一歩先を行くことで成長を続けてきた大塚製薬。ダイバーシティも他社に先駆けて進めてきた。そんな同社が力を入れる健康経営は、すべての社員が長く健康的に働くことを念頭に置いている。これは、日本の大きな流れの「一歩先」にいるのかもしれない。
徳島市にある同社の事業所内保育所「ビーンスターク保育園とくしま」。2018年度からは定員が現在の4割増の210人となり、事業所内保育所の規模としては日本最大級となる。