震災後、5店舗から10店舗に倍増

小野寺氏がコーヒー店を始めたのは2005年。海外で過ごしたコーヒーのある生活が忘れられず、「ないものはつくればいい」と考えたことがきっかけだった。

地元の県立気仙沼高校を卒業した同氏は、米国ミネソタ大学に留学して卒業後、欧州での就職を経て、27歳で気仙沼に帰郷した。家業の海産物・船舶漁労機械の輸出入に関わり、米国北西部でイワシの買い付けを行っていた。それと同時にシアトルを中心としたコーヒーショップの研究を本格的に始める。学生時代を過ごしたミネアポリスには独自のコーヒー文化が根づいており、故郷でもカフェ文化を根づかせたいと考えたからだ。

「母方の祖父が漁師で、早朝に起きると海を見ながらインスタントコーヒーを飲み、『ふーっ』と大きく深呼吸をしてから漁に出る準備をするのです。それが原点ですね」(同)

2005年に1号店を気仙沼にオープン。最初はドライブスルー専門店だった。

「東北地方はクルマ社会なので、生活の一部である車中がコーヒーの香りで満たされる世界観をめざしました。店は7時オープンでしたが、6時半にはコーヒーが出せるよう準備。常連客の学校の先生が、毎朝、朝練習の指導前に立ち寄られたからです」

港町で早朝から営業する店は、かつての祖父を思わせる地元漁師も立ち寄る人気店となった。当時はシアトル系を打ち出し、5種類の豆をブレンドして、イタリア製のコーヒーマシンでバリスタが淹れるコーヒーが、店に来るお客をもてなしてきた。

直前までサンドウィッチマンがいた

徐々に店舗を増やし、2011年には5店舗になっていた。そのうち気仙沼の海沿いにあった「アンカーコーヒープレミアム店」(当時)は、赤い外観が目立つ存在で、コーヒー焙煎工房も隣接していた。

被災したプレミアム店の前で、復興支援に訪れたサンドウィッチマンとともに。中央後方が小野寺氏(オノデラコーポレーション提供)

震災当日の14時から、この店で地元テレビ番組の収録を行っていたのが、人気お笑い芸人のサンドウィッチマンだ。

収録が終わり、駐車場に移動した直後の14時46分、大きな揺れが襲った。2人はすぐに近くの安波山(あんばさん)に避難。そこで番組スタッフと一緒に、気仙沼を襲う津波を目の当たりにする。先ほどまでロケをしていた店も襲われた。2人とも宮城県仙台市出身で、震災支援活動にも力を入れているが、その背景にはこの体験が大きかったと聞く。