09年に産休・育休を取って復帰した初田直美さんも言う。
「育休などを取得するときに考えていたのは、『やっぱり迷惑をかけちゃうんじゃないか』という負い目。上司にしっかりと守られなければ、なかなか思うような復帰部署を希望できない雰囲気がありました」
彼女は1年後に、育休を取得する以前にいた商業部に復帰したが、それは同部における初めての事例だったという。育休明けの復帰先といえば、労働時間が平準化されていて、業務がマニュアル化されている部署というイメージ。
当時、神奈川県・武蔵小杉駅周辺の再開発事業(東急スクエア)が佳境を迎えており、テナントの誘致や交渉、工事の管理を行う担当の仕事は業務量が多く、残業もしがちだった。さらにどの仕事にも期限が厳しくあったため、子どもが病気で1週間休まなければならないといった状況を想像すると、彼女は同じ担当への復帰をためらう気持ちがあったと振り返る。
「復帰するときに当時の上司から『どこに戻りたい』と聞かれたんです。その際に『やりたいのは開発です。でも、そこではみんなに迷惑をかけるかもしれません。そうするくらいなら、自分を受け入れてくれる組織に復帰をしたい』と私は答えました。その後、武蔵小杉の開発の担当に配属されたときは、『あなたが事例をつくりなさい』と言われたようで、身が引き締まる思いでした」
復帰後の担当部署では、夜の会食の多い飲食店舗ではなく、サービスや物販の担当を任されるなど、さまざまな配慮があったという。同じ母親の同僚と2人組で交渉などを行う配置も心強かった。
また、彼女が部署の後々の働き方に影響を与えたといえるのは、情報共有の徹底化がなされたことだ。子育て中の彼女の存在がそれを促した。テナントの交渉履歴や進捗状況などを、チームの全員が以前よりも頻繁にシステムにアップするようになったのである。
「誰かが急に休むことになっても、履歴を見れば次回の交渉のポイントと問題がわかる。お客さまに『みなさん、情報共有がきちんとしていますね』と評価を頂くことも増えました。当時の上司や同僚からよく言われたのは、『ぜったいに無理をしないで。あなたが事例になるのだから』という言葉。以後、商業部でも女性の産休→育休→復帰という流れがつくられ、現在では復帰が当然という雰囲気ができてきましたね」