こうした人の住まない街の文化を早くから取り上げたのが、宗教学者の石井研士だ。『銀座の神々 都市に溶け込む宗教』(新曜社/1994年)は、その名の通り、銀座にある神社に注目した著作である。従来、近代と宗教は対立するものと考えられてきた。近代化が進めば、人々の生活や思考も合理化され、宗教のような不合理とは手を切るものと予想されていた。

しかし石井は、東京では近代化と宗教が共存していることに有楽町駅前で気づく。

私が第一に〈驚いた〉のは、有楽町駅のすぐ前に、明らかにビル建築を契機に整備された小祠が残っていたからではない。そうではなくて、ビル建築によって整備された小祠が、あまりに自然に周囲のビル化された景観にマッチし、行き交うサラリーマンで混雑する有楽町駅周辺の光景にすっかり溶け込んで見えたからである。(『銀座の神々』)

石井が見た有楽稲荷神社は、1859年、摂津高槻藩主・永井飛騨守が屋敷内に設けたのが始まりだ。明治維新の際に荒廃したが、1908年、有楽町変電所が設置された際、社殿が整備された。昭和になって有楽町電気ビルが新築された時、一時的に赤坂に移されたが、1979年、再び有楽町に戻っている。

この来歴から分かるように、有楽稲荷は、偶然、同地に残されたわけではない。周辺が次々と開発される中、神社の領分が守られてきたのだ。その結果、有楽町駅、電気ビル、ザ・ペニンシュラ東京、ニッポン放送などに囲まれて街に溶け込んでいる。現在、稲荷の目の前には英国ヴィクトリア朝風がテーマのパブがある。

屋上の本殿を土詰めたパイプで地面につなぐ

そして、銀座には、さらに多くの神社がある。毎年秋、銀座の恒例イベント「オータムギンザ」の期間には、「銀座八丁めぐり」(http://www.ginza.jp/topics/8752)という巡礼イベントも行われている(今年は11月1~3日)。銀座八丁神社めぐりは、1973年、銀座の町会・商店街組織・業種業態組合からなる全銀座会が始めた。もちろん、巡礼地となる社は、イベント化するはるか以前から存在している。年によって多少変わることがあるが、今年は以下の通りだ。

(1)幸(さいわい)稲荷神社(並木通り1丁目)
(2)銀座稲荷神社(銀座ガス灯通り2丁目)
(3)龍光不動尊(松屋銀座屋上)
(4)朝日稲荷神社(大広朝日ビル)
(5)宝童稲荷神社(天賞堂裏の路地)
(6)銀座出世地蔵尊(銀座三越9階)
(7)歌舞伎稲荷神社(歌舞伎座正面・右側)
(8)あづま稲荷神社(あづま通り)
(9)かく護(かくご)稲荷神社(ギンザシックス屋上)
(10)成功稲荷神社(資生堂銀座ビル 1F)
(11)豊岩稲荷神社(おでん屋「やす幸」脇の路地)

一見して稲荷が9つも含まれていることに気づくだろう。稲荷は商売や家運向上に効く神とされる。商業神・産業神が大勢を占めるのは、いかにも人の住まない銀座らしい構成だ。

パイプで拝殿と地上をつなぐ朝日稲荷(画像/著者提供)

朝日稲荷は独特の建築で知られている。同社の始まりは定かでないが、安政大地震(1855年)の際、当時、銀座の街を囲んでいた三十間堀に埋まってしまった。だが、関東大震災で川底が隆起して再び地上に姿を現したという。そして1983年、隣の建物と共同ビルを建築することになり、本殿がビル屋上に移設されたのである。

ビルの1~2階は吹き抜けになっており、そこに拝殿が設けられている。拝殿と屋上の本殿は、土の詰まったパイプでつながれており、本殿も地面に接していることになっている。さらに1階の拝殿にはマイクが付けられ、それで集音した参拝者の祈りが屋上の本殿脇のスピーカーから流れる仕組みをとっているのである。