「鎮霊社」は反発を避ける決定打だった

ただ、謎が解けたとは書いたものの、その時点では、私は必ずしもそうだとは考えなかった。私には、それを語った人物が、自分の影響力を誇示するために、話を盛っているのではないかと思えたからである。

しかし、今回の騒動が起こってみると、私はその人物に対して大変失礼な誤解をしてしまったように思えてきた。昭恵夫人をめぐってなら、そうしたことは十分にあり得るのだ。

昭恵夫人がいったいどういう人物なのか、分かるようでいて分からないところも少なくないが、彼女としては、総理大臣に返り咲いた夫が、悲願である靖国神社参拝に踏み切れないでいることに忸怩たる思いを抱いていたことだろう。

そんななか、その人物から鎮霊社のことをはじめて聞かされ、それに興味を抱いたのだ。

鎮霊社を創建したのは、A級戦犯の合祀をずっと棚上げにしていた筑波藤麿宮司であった。

筑波宮司は、1963年9月から10月にかけて、「核兵器禁止宗教者平和使節団」の一員として欧米諸国を歴訪し、ローマ教皇、ロシア正教大主教、カンタベリー大主教や国連のウ・タント事務総長などと面会した。この体験から、筑波宮司は、日本の英霊を祀るだけではなく、世界の英霊を祀らなければ、世界平和の実現はならないと考えるようになり、全世界の戦没者を祀ることを計画した。

ただし、靖国神社のなかでは、その計画が神社本来のあり方から逸脱するとして反対が起きた。それでも、筑波宮司の強い意向で鎮霊社が建立された。その意義について、筑波宮司は社報で、「世界の諸国がお互いに理解を深め、本当に平和を望むなら、かつての敵味方が手を取り合って、上として我々を導かれることこそ一番大事だと思います」と述べていた。

昭恵夫人は、おそらくそのことも聞いたのだろう。そして、首相が靖国神社に参拝しても反発を受けない方策として、鎮霊社に参拝したことを強調するのが決定打になると、首相に提案したのだ。

首相は、夫人からの提案をグッド・アイディアだと思ったに違いない。そのときの夫婦の会話はかなり盛り上がったのではないだろうか。

もちろんそれは私の勝手な推測だが、森友学園の問題をながめていると、どうしてもそのように考えてみたくなる。昭恵夫人の首相に対する影響力は、相当に大きなものなのだ。

昭恵夫人が私人なのか、それとも公人なのかは議論の分かれるところだが、それ以上に重要なのは、この影響力である。

靖国神社の問題は、日本の国家が解決していかなければならない重大な事柄だ。そこに、昭恵夫人の考え方が影響を与えている。「昭恵イズム」は、国を動かしているとさえ言えるのである。私たちは、この昭恵イズムの正体を探る必要あるのではないだろうか。

【関連記事】
安倍首相の靖国参拝、知られざる波紋
靖国神社参拝論争の運命を握る「ある民間人」とは誰か
靖国、麻生、アンネ……国際世論がヒートアップ
安倍首相が掴んだ伊勢志摩サミットの“お手柄”
橋下徹「スクープ!森友学園問題の真相」