英語は使った分だけうまくなる

三宅義和・イーオン社長

【三宅】松坂先生は、学生時代にWESA(早稲田大学英語部)に所属されていたそうですね。英語教育界にはESS出身者が多い。ESAというのは初めて聞きましたが、そこではどのよう活動をされていたのですか。

【松坂】早稲田大学の特殊事情だと思いますが、大学の英語クラブとして存在していたESSのほかに、私が学んでいた教育学部の公認サークルとしてESAがありました。日本語では「英語部」と言っていますけれども、英語教師をめざす学生のために作られたサークルだったのです。

ここでスピーチとかディベートの活動をしていて、大学対抗のコンテストにも参加し、他大のESSと対戦しました。部員は、当然、勝ちたいですから、強くなるための努力をしているうちに、ESAは他の英語クラブと性格的に差がほとんどなくなっていきました。結局、いまはもう教育学部から離れて、早稲田大学の普通の公認サークルになっています。

【三宅】学生時代のエピソードとしては、松坂先生の恩師である中尾清秋先生の講義にも驚きました。とにかく、授業はすべて英語、教室の外でも教え子との会話は、やはり英語だけ。当時としては画期的だったのではないかと思うのですが、中尾先生の教授法にはどんな思いが託されていたのでしょうか。

【松坂】中尾先生はもともと鎌倉にお住まいで、父上の勧めで横浜のインターナショナルスクールに入ったそうです。そこからずっと英語で教育を受けてこられて、大学もアメリカでした。当然、本人はバイリンガル。先生の考え方は、英語は使えば使った分だけうまくなるという、ごく当たり前なもので、私もそれは正しいと思うのです。

逆の言い方をすれば、英語学習者が日本語で英語を学ぶ状況を、中尾先生は不思議な気持ちで見ておられたのでしょう。先生の考え方は、今日ではちっとも珍しいものではありませんが、その頃は賛同する教師が少なく、また同意しても実践できる先生が少ない時代でした。その意味で、中尾先生に巡り会えたのは、私にとって幸運でした。

【三宅】松坂先生もご自身のゼミは一切の活動を英語で行っていらっしゃいますね。

【松坂】私は教師として母校に就職し、中尾先生が学科主任をされていたときの早稲田大学教育学部英語英文学科に着任しました。そこで今度は、先生が上司ということになり、会議などでも、他の人は日本語なのに、私に対してはすべて英語で話しかけられました。教え子だからということとでしょうが、もう徹底していましたね。私も授業は英語ですけど、教室から出てまで英語ではありません(笑)。

【三宅】そんな松坂先生から見て、学生の英語力の変遷と言いますか、今と昔で違いを感じられますか。

【松坂】やはり、しゃべるのがうまい学生は増えてきました。それから、学生のモチベーションの点で、話せるようになりたいという学生はとても多いです。だからでしょうか、以前は学年末に授業の感想を書いてもらうと、「日本語でやってほしかった」というコメントを書く人が必ずいたものです。しかしもはや、そんなことを書く学生はいません。

うまい、へたのばらつきはありますが、英語でコミュニケーションをするという意欲は相当高くなったと感じます。それから、最近の大学生はもう気軽に海外旅行します。その際に現地で自分の話す英語が通じないという経験をしてショックを受け、これはきちんと発音を勉強しようと思うようです。