この12月に発売されるマツダ「ロードスターRF」は、新型NDロードスターをベースに電動開閉ルーフを備えたモデルだ。マツダのエンジニアによれば、新型ロードスターの目標は初代への「原点回帰」だったという。ロードスターはなぜ、4代目にして原点回帰を目指したのだろうか?
マツダ・ロードスターというクルマがある。1989年の初代モデル以来、毎年生産台数を積み上げ、2シーターのオープンスポーツの累計生産台数でギネス記録を更新中。2016年4月、ついに100万台に達した。
ロードスターは登場以来27年間、ベースシャーシを踏襲した大変更を1回、ベースシャーシの刷新を2回行っている。2015年には2回目のフルモデルチェンジが行われ、ロードスターは4代目となった。
クルマに限った話ではないが、ヒットモデルの人気を維持しながら後継機を作り上げることは至難の業である。その難事業に、マツダはどのように取り組んだのだろうか?
英国製ライトウェイトスポーツの再来、初代ロードスター
「温故知新」という言葉があるが、初代ロードスターはまさにそういうクルマだった。その範は英国にあった。第二次世界大戦のために欧州戦線に駐留した米兵たちは、そこで英国製の軽量安価なライトウェイトスポーツに出会い、夢中になった。帰還した米兵たちによって北米で大人気となったライトウェイトスポーツは、英国の重要な輸出品となる。生産台数の80%は北米へ輸出され、英国重工業の復興に大いに貢献した。
1970年代に入ると、北米でスポーツカーへの逆風が吹き始める。大気浄化法改正法(通称「マスキー法」)や、衝突安全性能の基準値が厳しくなり、それらに対応できなかったライトウェイトスポーツの灯は、じりじりと暗くなり、1980年代に入ると共に消えた。ジャンルそのものが消滅したと誰もが受け止めていた1989年、マツダは突如、ユーノス・ロードスターをデビューさせたのだ(ユーノスは当時の販売チャネル名だがすでに消滅)。
ユーノス・ロードスターはまさに、英国製ライトウェイトスポーツの再来だった。復活の最大の理由は、日本の技術によって排気ガスや衝突安全という重大なボトルネックをクリアできたからだ。かつての英国製ライトウェイトの後を襲ったユーノス・ロードスター(北米輸出名:ミアータ)は北米マーケットで大成功を収めた。マツダの成功を見て、世界中の数多くのメーカーが2匹目のドジョウを狙ったが、ついにロードスターを追い越すことはできなかった。
しかしその間、マツダの側も決して順風満帆であったわけではない。フォード傘下に下ったこともあれば、希望退職者を募ったこともあった。そうした中で、生まれた2代目、3代目のロードスターは、どうしても初代を上回る評価を得ることができなかった。真面目なマツダのことである。数値で見る限り、新型モデルは常に旧型を上回るスペックを整え、問題点を潰せる限りつぶしてリリースしたにも関わらずだ。