被害者根性に囚われると、完全な逆効果

【親の正しい対応策2:被害者根性に囚われすぎない】

イジメは交通事故に似ている。誰にでも起こりうる問題であることがひとつと、示談などが成立して、その事故のお裁きが確定したとしても、被害者には後遺症が残ることもままあるという点でもそうだ。

被害者の傷は一生ものになりかねないことを理解しながらも、この経験を決して無駄にはしないという決意を胸に秘めることをお勧めしたい。

それには戦略が必要になるのだが、とりあえずやるべきことは「今日、起きている問題が明日、続かない」。これに尽きる。

しかし、被害者の立場を前面に押し出すと事態は間違いなく悪化する。先日私が実際に受けた相談に「加害者の親に知らしめて『あなたの子どもはこんなひどいことをする子なのだ』ということをわからせたい」というものがあった。

被害者の親には自分の家庭だけが苦しむのは理不尽だという思いと、可愛いわが子の敵を討ちたい、罰を与え、仕返しをしてやりたい、この悔しさをどうにか晴らしたいという思いが交錯する。

いきなり弁護士が登場するケースも沢山ある。

思いをストレートに加害者側にぶつけても、誠意をもって謝罪する親は稀で、大抵は態度を硬化させるだけになるだろう。加害者の懲罰を願うのは後でいい。よその家庭の子育てにまで今は責任を持つ必要はないのだ。まずは目の前のことに集中して、わが子のことだけを考えるのだ。

【親の正しい対応策3:学校のスタンスを理解し、教師を敵に回さない】

イジメ相談を受けるといつも思うが、戦術ミスを重ねたために学校を敵に回し、泥沼化を招く親が出るのだ。

泥沼化した後では対応に苦慮しがちになるので、初動がとても大切になる。それには学校側の立場を把握しておく必要がある。被害者側からは理不尽に映るだろうが、学校というところは警察でもなければ、裁判所でもない。つまり、どちらかに加担するということはしない。

学校から見れば、被害者も加害者も同じ可愛い生徒なのだ。学校はどの子にも平等に接する義務がある。さらに言い切るならば、どちらかと言えば加害者の方に手厚く感じることの方が多いかもしれない。なぜなら、弱い方の生徒を黙らせることの方が簡単だからだ。

ここに憤って、被害者根性を前面に出して教師を責めると学校は簡単に敵に回ってしまう。そもそも被害者親は学校から歓迎されない存在であるということを肝に銘じることからのスタートになる。

最小限の傷で済むことを望むならば、加害者と学校を責めるのではなく、みんなで良い方向に向かいたい、そのために自分(親)に何ができるのかを教えてほしい、できることは何でも協力したいと申し出ることが大切になる。

そこで、ようやく「話ができる親」ということで、学校との交渉権を得ることができるのだ。ここを間違ってはいけない。