彼女は福岡営業所の係長を務めた後、熊本で営業課長、同じく福岡での営業課長を経て、熊本の八代営業所の所長へと抜てきされる。そのすべてが「女性初」となる役職だった。
今から振り返るときに彼女が抱くのは、厳しい視線を浴びる一方で、自分を一人前の管理職として育て、見守ろうとしてくれた人々が自身のキャリアを支えていたという思いだ。
例えば、熊本営業所から福岡へ再び異動になるとき、当時の所長は日本経済新聞で連載されていた「キャリアの軌跡」の切り抜きを渡してくれた。
「君がいつか所長になるとき、参考になると思って切り抜いていたんだ」
彼女は今でもその記事の束を大切に持っている。
あるいは熊本営業所にいたとき、クレームの処理を命じられて1人で顧客の元を訪れた際のことだ。話し合いは無事に終えることができたが、後に所長は「あのとき、心配で俺はこっそり付いていったんだぞ」と照れくさそうに言っていた。
「早く女性の管理職をつくり、全国にもっと女性所長を増やしたいという社の方針もあったのでしょう。私はそのことに背を向けちゃいけない」
かつて昇進を拒んだ姿はそこにはない。立場によって人は変わり、変わった人によって組織もまた、長い道のりを経て変わっていく。彼女はそのことを今では十分自覚している。