哲学者、思想家、倫理学者、武道家などいくつもの顔を持つ現代日本屈指の教養人・内田樹氏。混迷する今の時代にこそ「教養」で武装する必要があると説くそのワケは……。
「ブラック企業」での雇用条件のひどさがしばしば問題にされます。もちろん企業側が悪いのですが、気づかずにそういう企業に就職してしまう側にも責任の一端はあります。「怪しげな会社」というのはたとえ事業内容を知らなくても雰囲気でわかるものだからです。会社のドアを開けて、社員と一言言葉を交わしただけで、「ここはやばい」と感じて一目散に逃げ出すぐらいの感受性がないと世の中は渡れません。
「電車の中で化粧をする女性」もよく見かけます。これも問題なのは、そういう行為そのものが生きる力を衰えさせていることに彼女たち自身が気づいていないことです。彼女たちは周囲の刺すような視線を浴びてもまったく動じる気配がない。普通なら、あれだけ冷たいまなざしで周囲から見つめられたら「寿命が縮む思い」がするはずです。でも、彼女たちはそれに気づかないで平然としている。
ブラック企業に就職してしまう人も、電車の中で化粧する人も、どちらも周りから発信されている「シグナルが読めない」点が共通しています。目に見えないもの、言葉で表されないものに対する感受性が著しく鈍っている。
『論語』に言う「君子の六芸(りくげい)」、すなわち「礼、楽、射、御、書、数」は知的成熟のための必須の教養です。この全学科に共通して要求されている資質は「目に見えないもの」に対する感受性と開放性です。
「六芸」の第一に挙げられているのが「礼」です。これは礼儀やマナーのことではありません。「鬼神に仕える」作法のことです。「この世ならざるもの」をただしく畏れ、ただしく祀(まつ)り、それがもたらす災いから身を守るための実践的な方法です。それをまず身につける。
現代人はもうこうした感覚を失いつつありますが、人類の歴史数万年のうち、「この世ならざるもの」との付き合いが薄れたのはほんのここ百年ほどのことです。それまで「鬼神に仕える」作法は人が生きる上で最優先で身につけるべきものでした。