小宮山 宏
1944年、栃木県生まれ。東京大学大学院工学系研究科博士課程修了。米カリフォルニア大学にて1年間の研究生活を経験後、77年東京大学工学部講師に。その後、東京大学工学部教授、副学長などを経て、2005年4月、東大総長に就任。「東京大学アクション・プラン」を公表し、自ら改革の旗頭となる。09年3月、任期満了により総長を退き現職に。環境問題は専門分野のひとつで、多くの省エネ対策を施した自宅はエコハウスとして有名。愛車はプリウス。最近はゴルフにはまっているという。
20代半ばの大学院生の時代から助教授になる40歳近くまで、ほぼ毎日、夕食に「大島や」の出前を食べていました。実験に明け暮れ、世の中の度肝を抜く成果を挙げてやろうという野心に燃えていたからなのか、やたら腹が減りましてね(笑)。何しろ素材が新鮮で量が多い。レバー入りニラ炒め、肉豆腐、野菜揚げがよく食べる三大メニュー。いったんはまると、半年くらい同じものを食べ続けていたな。
店主の大島一郎さんは1歳違いなこともあり、妙に気が合って。僕がアメリカに行く前の追い出しコンパでは自慢の喉を披露してくれた。僕も負けずに歌ったんです。石原裕次郎の「俺は待ってるぜ」だったかな。
大島やが仕事飯の店だとしたら、自宅近くでよく利用するのが「つ串亭」です。きっかけは僕の息子がアルバイトでお世話になったから。これまた店主の木村敬さんと親しくなって、もう十数年通っています。総長時代、木村さんに頼まれて世田谷区で講演したこともあった。
下北沢は若者向けの店が多いのですが、ここは年齢層が高めで落ち着ける。焼き鳥、刺し身、生牡蠣、何でもうまくて日本酒によく合います。素材のうま味を殺さない、ちょっとした味付けがいい。女房と来ることが多いのですが、わが家に来た外国人を連れていくととても喜ぶんです。
東大総長を退いてはや9カ月、女房に言わせると、総長時代、僕の身辺は騒乱状態だったけど、今は戦争状態らしい。でも年を取って予知能力が強化されたのか、不思議と体調は壊さないですね。若いうちによく風邪をひくのは体が頑健で無理が利くから。今は違います。酒もそんなに飲めないし、疲れたらすぐ眠くなる。無理できないから、戦争状態もこなせているのだと思います。
総長時代は公務員だし、ちょっと遠慮もあったけど、今は怖いものなし(笑)。僕の使命は「世界を視野に入れた日本の強化」だと思っています。そのために必要なのが何より発想の転換です。すなわち、産業を強くすることが国力を高め、人々の生活を豊かにし、幸せになれる──明治以来、日本が墨守してきたそんな考え方を捨て、人々の暮らしをよくすることが新しい産業を生み出し、それが国力増進にもつながるという発想に切り替えないといけない。
日本がまさに直面している最重要課題がエコと高齢化です。僕はCO2の25%削減に賛成だし、日本はやれると思っている。環境に配慮し、高齢者も出歩きやすいバリアフリーの都市を全国につくっていく「プラチナ構想ネットワーク」の推進事業にも関わっています。
明治維新のときがまさにそうだけど、時代の転換期に前に出ていく人をどれだけ輩出できるかが大事。僕もその一人でありたいですね。