男が男に憧れる、そんな魅力を持つ経営者
富士ゼロックス元会長で経済同友会の代表幹事を務めた小林陽太郎さんが、9月5日逝去された。その報に触れ、ふと思い出した場面がある。
裏磐梯のホテルのバーで、ある夜、小林陽太郎さんを囲み、筆者を含む数人でグラスを傾けたことがあった。小林さんが理事長を務めた日本アスペン研究所が各企業の役員候補生を対象に開催した5泊6日のセミナーを体験取材した十数年前のことだ。
哲学や文学の古典をテキストにして議論し合う。米コロラド州アスペンに拠点を置く米国本部のセミナーに参加して感銘した小林さんが日本での設立に尽力したものだ。
「善とは何か」「人は何のために生きるのか」。普段は仕事に追われる中年の男たちがその夜は、青臭い書生論議に夢中になった。それは紳士然とした小林さんが醸し出す雰囲気によるものだったように思う。
質問をすると、紺ブレ姿の小林さんはグラスを片手に脚を組みながら、少し伏し目がちに考え込み、ぱっと大きな目を見開くとこちらを見つめ、「こういうことではないでしょうか」と真摯に答えてくれる。その姿勢も実直なら、立ち居振る舞いも実にダンディで、いっぺんで小林ファンになってしまった。男が男に憧れる。そんな魅力持つ経営者だった。
実際、小林さんの下で働いた部下たちには、情に厚く、相手を心から信じるその人柄に心酔し、思い出話を語るたびに目を潤ませる人が多い。そのエピソードの数々を本来なら、筆者の親友、元プレジデント編集長の樺島弘文氏がここに書きつづるべきなのだろう。
「小林さんの本をなんとしてでも出したい」
部下たちの熱い思いを受け、足かけ3年がかりで取材し、最初で最後の評伝『小林陽太郎――「性善説」の経営者』(プレジデント社刊)を著した本人だからだ。その樺島氏は3年前、本が発売される直前、急逝した。小林さんは栃木の山里に住んでいた樺島氏に最後の別れを告げに自ら足を運んだ。今回、樺島氏に代わって、その評伝をもとに筆者が小林さんの足跡をたどらせてもらう。