「これ以上待てなかった」社長人事

「若返りの必要性を感じて、自分なりに準備をしてきた。ただ、もう少し先かなとも考えており驚いた」

スズキは6月30日、鈴木修会長兼社長が会長兼CEO(最高経営責任者)に就任し、長男の鈴木俊宏副社長が社長兼COO(最高執行責任者)に昇格する人事を発表。その会見で社長交代について聞かれた俊宏氏はこう述べた。

修氏は85歳と高齢のため、社長を譲るのは時間の問題と見られていた。しかし、なかなか譲ることをしなかった。それは独フォルクスワーゲン(VW)との資本提携解消問題があったからだ。この問題は11年11月から始まり、未だに結着していない。そのため、今年も社長交代はないというのが大方の予想だった。

鈴木修会長兼社長(左)が会長兼CEOに就任し、長男の鈴木俊宏副社長が社長兼COOに昇格する人事を発表。

「私自身が(資本提携を)実行した立場ですから、なんとか国際仲裁裁判所の判決が下りるまで自分の責任でと思っていたが、ここまで長くなると待ちきれない。これ以上待つと、うちの事業計画も遅れてしまう」と修氏は話す。

修氏については今さら説明するまでもないが、銀行勤務を経て1958年にスズキに入社し、2代目社長の鈴木俊三氏の娘婿となった。78年に社長に就任し、以来37年にわたってスズキを引っ張ってきた。その間、売上高を10倍以上増やし、3兆円を超える世界的な自動車会社に育て上げた。

その経営はワンマンで、ほとんどの意思決定を修氏のトップダウンで行ってきた。もちろん、その状態が望ましくないことを修氏自身も認識しており、90年代後半から最大の課題は後継者育成と話していた。

そこで、2000年に戸田昌男氏に社長の座を譲った。ところが、しばらくすると体調を崩して降板。そして、03年には津田紘氏に社長を任せたものの、数年後に健康上の理由で退任してしまった。また、次期社長の大本命と見られていた修氏の娘婿の小野浩孝氏も病気で急逝してしまったのだ。このときは修氏も相当落ち込んだそうだ。

このように、スズキは後継者問題で不運が続き、一方、事業面では長年のパートナーだった米ゼネラルモーターズ(GM)が経営危機に陥り、スズキとの関係を清算してしまう。そのうえ、リーマンショックが襲ってきたのだ。そのため、修氏は社長職にカムバックし、老体に鞭打ちながら、持ち前の経営力でそれらを乗り越えてきた。