日本刀は心が安らぐんですよ
高倉健が好きなものの筆頭は映画だけれど、他に、ふたつのものを好み、つねに周りに置いては眺めていた。
ふたつとは日本刀およびレンブラントの模写である。
日本刀についてはこう言っていた。
「日本刀は心が安らぐんですよ。夜中に引っ張り出して、すーっと抜き身にして、ぽんぽんぽんって打ち粉を打って、そして眺めてます。刃物っていうのはただの道具なんですが、日本刀だけはそんな機能を通り越した美しさを持っているように思います。
選び抜かれた鉄を火に入れ、打っては曲げ、曲げては延ばし、水につけたり、また、火に入れたり、そういつた作業を繰り返してるうちに、打った人の気持ちが刀身に入り込んでゆくんでしょうね。
刀匠はただ鉄を平たくしてるんじゃなく、刀身に気を叩きこんでいるんじゃないでしょうか」
彼は熱心に言っていた。そこで、わたしは長野県にある刀匠の作業場に出かけて行った。高倉健がつねづね言う「気」の正体をつかもうと思ったからだ。
刀匠は「いま、高倉さんに頼まれたものができたところ」と言って、「高倉健佩刀」と書かれた刀を包む布を見せてくれた。刀身は見ていない。本人がいないのに、刀身そのものを見ては申し訳ないと思ったからだ。
刀匠の作業場だけでなく、わたしは東京国立博物館の日本刀展示室、代々木にある刀剣博物館にも出かけて行った。
高倉さんという人は親切な人で、「刀について勉強したい」と相談したら、たちまち、知人の何人かに電話をかけてくれたのである。そうなると、どこへでも出かけて行かなくてはならない。
映画の取材のはずだったけれど、刀関係の取材でずいぶんといろいろなところへ行くことかできた。
そこまでしたからといって、彼が言っていた「気」の正体をはっきりこれだとはつかめなかった。しかし、少なくとも、日本刀が「歩いている人の足を止めてしまう」美しさを持った芸術品だとは理解できた。
映画に出ていない時間、気持ちを鎮めるために彼は美しいものを見ていた。そして、美しいもののなかにある「気」を感じていた。