街の治安は悪く、従業員の士気は低く、家族も赴任に反対。「地球の裏側」でのビジネスは簡単ではない。次々と起きる想定外の事態にどう立ち向かうか。W杯に沸いたブラジルで奮闘する駐在員たちを追った――。
現地での競合はシェア7割の巨人
「何を言っているの? 明日はうちの子の受験なのよ。今はそんな話、聞きたくない」
電話の向こうの妻が動揺している様子が手に取るように分かった。
(当然だろうな)
小林信弥もブラジル転勤の内示を聞かされて面食らっていた。「娘の受験が終わったら、ゆっくり話をしよう」と電話を切った。
小林がブラジル行きの内示を受けたのは、2012年1月31日のことだった。前年2月から、小林は勤務するキリンビバレッジの、「グローバル・マネジメント・プログラム」に参加していた。これは社内から選抜された社員に英語を研修させる人材育成プログラムである。研修中の2011年秋、キリンは約3000億円を投じてブラジル飲料メーカーの「スキンカリオール」を買収した。
――この中で何人かブラジルに行くことになるかもしれないな。
小林は研修仲間と冗談を言い合っていた。ブラジルといえばアマゾンしか思い浮かばなかった。小林にとっては遠い世界で、まさか自分が行くことになるとは思っていなかったのだ。
ブラジルに着いてみると、想像とは違っていた。サンパウロの大通りには高層ビルが建ち並び、スーツを着た人間で溢れていたのだ。
キリンはスキンカリオールの全株式を取得後、「ブラジルキリン」と社名を変更した。本社のあるサンパウロ州のイトゥー市を含めてブラジル全土に13工場、従業員1万人、ビールの他、炭酸飲料水などの清涼飲料水を製造している。小林はブラジルキリンの取締役として、マーケティングと流通を担当することになった。
「基本的には役員、上層部は英語が通じる。お互いに英語が第二外国語なので、優しい単語で変な言い回しもしない。ブラジル人っていい加減かなと思っていたんですけれど、結構しっかりしているし、真面目」
ただ、と小林は笑って付け加える。
「打ち解けてくると会議に遅れてくるようになったんですが」