仕事人生で一度だけ、弱音をはいた日
ところが、実際に仕事をはじめると、予想を上まわる苦労がありました。
それまでアイムスの商品はペットショップなどの専門店で販売していましたが、P&Gの販売ルートにも乗せてスーパーやホームセンターで広く販売していくことになります。私に任されたのはそのマーケティングです。子どもの頃から犬は大好きですが、ペットケアのビジネスは未知の領域です。
しかも外資系とはいえ、社内でビジネス英語が堪能なのは経営陣ぐらい。女性管理職はゼロでした。そこへ英語をペラペラ話す女性管理者が現れたら宇宙人みたいなものです。
まったく新しいビジネスモデルにかなり苦戦しました。それまで右肩上がりだった会社の業績が若干スローダウンし、私は悔しい思いで毎週のように全国各地へサンプリングに出かけたり、得意先の商談へ同行したりと、必死に打開策を探りました。
しかし本当に大変だったのは、2社間の調整役です。初年度は拡販で売上が伸びたものの、当初計画に比べると半分ほどで、毎日のように神戸・アメリカ双方の経営陣から売上に対する厳しい電話がありました。
このとき初めて、P&G社内で働いていた頃は上司達によって守れていたことに気づきました。復帰後1年でマーケティングディレクターに昇進し、責任範囲も広がっていました。
そして24年間で一度だけ、「こんなにつらいなら辞めてもいいかな」と弱気になりました。しかし主人に相談すると「辞めてもいいよ」とあっさり言われ、逆に私は「絶対に辞めない!」と心に誓ったのです。
そう思ったらもう自分から積極的に動くしかありません。頻繁に神戸にも、アメリカにも足を運びました。自力でネットワークを切り開き、関係者にインフルエンスし、1つひとつ積み上げていったのです。3年目頃から成果が目に見えて表れ、アメリカ本社に「こんな製品が欲しい」と直接言えるほどになりました。苦しいスタートでしたが、この仕事で培ったものは相当に大きかったと思います。
4年目を迎えた頃、P&Gジャパンの社長とアメリカのペットケア部門の社長とミーティングがあり、私の次のキャリアをどうするかという話になりました。通常のキャリアコースなら神戸に移って洗剤、ヘアケアなど他の商品分野を担当します。しかしそれでは、また東京と神戸でスプリット家族になります。次女も生まれて、子育てに手のかかる時期でした。
「君自身はどうしたい?」と尋ねられたとき、私は即座に「アメリカ本社へ行かせてください」と言いました。
2人の社長は唖然としていました。
「ご主人はどうするの?」
「神戸に行っても家族が離れて暮らすことになるなら、神戸もアメリカも状況は同じです。それならアメリカの方が子供を育てやすいし、学びも大きい。」
こうして2年後の2006年、小学校に上がったばかりの長女と3歳の次女を連れて、私はアメリカへ渡りました。
伊田欣司=構成 向井 渉=撮影