本物のダイバーシティを知る

そのように仕事が充実してきた96年、プライベートでは結婚しました。ところが1年後、広告代理店に勤めていた主人が東京へ転勤することになり、私は大きな岐路に立たされます。P&Gで仕事を続けたい。でも、それだと主人と離れて暮らすことになる。このときは迷いました。

当時の上司は中国系シンガポール人でした。私が会社を辞めると思われてはいけないので、彼には主人と離れて暮らしていることを報告していませんでした。ところが、人づてに聞いた彼は、私のところへ飛んできて「会社を辞めるんだって!」と予想どおり尋ねました。

「まだ決めたわけではありません」
「なんで相談してくれなかったんだ。僕はキミのことを高く評価しているから、P&Gを辞めないでご主人と一緒に暮らせる方法を探そう」

私は親身になって考えてくれる彼に感謝して、もっと早く相談すればよかったと思いました。それから数日後、彼はまた私のところへ飛んできて「いいアイデアを思いついた!」と言って、「アジアの国へ行かないか」と思いもよらないことを提案しました。香港やバンコクなら現地のP&Gに勤めることができるし、主人の広告代理店も支社があるはずだから、夫婦が共に転勤すれば一緒に暮らせる、「ご主人の会社と交渉しようか」というのです。

私は「これがグローバル企業のダイバーシティなんだ」と眼から鱗が落ちる思いでした。彼自身がアジアの都市をいくつか経験したから、そのアイデアを思いついたのでしょう。P&Gは早くからD&I(ダイバーシティ:多様性とインクルージョン:受容)を重んじてきた会社ですが、残念ながら当時の日本人にはなかなかできない発想でした。

結局、私はP&Gの日本本社が移転した神戸に残ることに決め、2年後に長女を出産するために東京へ戻るまで、主人と離れて暮らすスプリット・ファミリーになりました。

99年に長女を出産し、6カ月の産休に入りました。このとき困ったのは、産休明けにどう仕事に復帰するかです。生まれたばかりの子どもがいるのだから神戸へ単身で戻るのは難しいと思いました。P&Gは東京オフィスもありますが、当時はマーケティングの仕事は東京にはなかったのです。

何か方法はないかと考えていた頃、アメリカの本社がペットフードなどを手がけるアイムスを買収し、東京のアイムス・ジャパンにP&Gから誰かシニアクラスのブランドマネジャーが行けないかというニーズがありました。当時シニアクラスだった私は、まさにうってつけの人材。本当にタイミングよく、東京勤務の道が開けたのです。