歴史上の偉人たちは、どんな家庭に生まれ、どんな親に育てられたのか? 教育方針や勉強法に、なにか秘訣があったのか? そして、今すぐにでも、わが家でできそうなことはあるのか? 古今東西の自伝・伝記をもとにした著書が多数ある木原武一さんに語り尽くしてもらった。
ヘレン・ケラー(amanaimages=写真) 
生後6年間の空白を克服。

目と耳と口の機能を奪われながらも、みごとに三重苦を克服したアメリカのヘレン・ケラー(1880~1968)。彼女の生涯をたどってみて、最初に気づくのは、これまで人間の成長や発達について常識と信じられてきたものが、まったく通用しないということである。

心理学者や教育学者の研究によると、人間の知能や情緒の発達は、3、4歳までの家庭環境や刺激の与え方によってほぼ決まるといわれている。

ヘレン・ケラーの場合はどうか。生後6カ月目には片言で「こんにちは」としゃべり、満1歳で歩きはじめるなど、心身の発達は平均よりもむしろ速いほうであったが、生後19カ月で病気のために目と耳の機能を失い、暗黒と沈黙の生活がはじまる。

それからのヘレンは、わがまま気ままの手に負えない子供になってしまう。顔つきは知的だが、魂みたいなものが欠けていた少女だった。家では暴君のようにふるまい、手づかみで食事をする野生児と化していた。

ここで登場するのが、ヘレンにすべてを教えた生涯の師、アン・サリバンだ。サリバンがヘレンと会ったのは7歳のときで、重要な幼児教育の時期はとうに過ぎている。

そんな少女に師はどう接したのか。ヘレンは自分の手のひらに師が指で記す文字だけを頼りに言葉を覚えていくことになるが、それを最初に理解するきっかけとなったのが、「水」という言葉だった。その瞬間は、まさに彼女の生涯のハイライトといえる。ヘレンは『わたしの生涯』(岩橋武夫訳)に、こう記す。

「先生は樋口の下へ私の手をおいて、冷たい水が私の片手の上を勢いよく流れている間に、別の手にはじめはゆっくりと、次には迅速に“水(ウオーター)”という語をつづられました。私は身動きもせず立ったままで、全身の注意を先生の指の運動にそそいでいました。ところが突然、私は何かしら忘れていたものを思い出すような、あるいはよみがえってこようとする思想のおののきといった一種の神秘な自覚を感じました。この時はじめて私はw-a-t-e-rはいま自分の片手の上を流れているふしぎな冷たい物の名であることを知りました。この生きた一言が私の魂をめざまし、それに光と希望とを与え、私の魂を解放することになったのです」

ヘレンはこれを契機に「新しい心の目をもって、すべてのものを見るようになった」とも言う。サリバンはヘレンが覚えた言葉の数を克明に記しているが、はじめの3カ月で約400の単語を習得したという。障害のない子供が覚える速度に比べてはるかにハイペースで、いかにヘレンの学習意欲が高かったかを物語っている。こうして魂が抜けた野生児から生き生きとした人間へと変貌していくのである。