偏向報道批判は世論が偏っているから?
このように「厳しいコロナ対策」を訴える立場が左派と同一視されるのは、当時の政治状況を鑑みたものであり的確な指摘だと私は思った。逆に自由な経済活動を政府が縛るべきではないという意見は、新型コロナの文脈では「右派」と見られていた。
「逆もそう言えますよね」と、私はその場で言った。「どういうこと?」と編集長。「『権力が個人の自由を押さえつけるべきじゃない』という意見も、右派だと決めつけてはいけませんよね」と私は続けた。編集長は理解ができないというふうな曇った顔をしたが「ま、そうかもね」と言って別の話題に移った。
私はこの時、ニュースのつくり手が自分たちこそが中道で正しいと思い込んでいるのだなと察した。「自分たちは左派に偏っているわけではない。世論が偏っているから偏向報道だと批判されるのだ」と解釈しているのだ。
「権力を監視したい」と言う若手社員
また「権力を監視する」という価値観も、マスコミの中に根強い。入社してきた後輩に「なぜ記者になりたいと思ったの?」と質問した時に「権力を監視したくて」という答えが返ってきた時はさすがに驚いたが、就職活動でもお決まりの言葉になっているようだ。
報道の役割は権力と対峙し批判することだとの価値観は、テレビ局の中でも基本中の基本として受け入れられている。だからこそ、政権与党に常に厳しい姿勢で報じていることを「偏っている」と指摘されても、それがむしろ自分たちの役割だと思っているのでピンと来ないのだ。
この「権力を監視する」という考えは一定程度正しいが、抜けてしまっている点が2つある。
1つ目は「権力」は政権与党だけではないという点だ。立憲民主党や共産党などのメディアが好意的に見るリベラル側の政党の議員も、権力者であることに変わりはない。しかしマスコミは、自民党議員の政治資金の不記載の問題は「裏金」と銘打って大々的に追及する一方で、野党議員が同じような政治資金の不記載の問題を起こしても大キャンペーンを打つことはなく、単に不記載として処理をする。
