「長年にわたる業界の慣行か」
あれは1990年、筆者は農水省記者クラブに所属していたが、ビール4社の横並びの値上げがあった。当時の樋口廣太郎アサヒビール社長の会見時、記者団から値上げについて次の質問が出る。
「4社はシェア(市場占有率)も売上高も営業利益も違う。なのに、値上げ幅が同じなのは、おかしいのではないか」
すると樋口氏は「今回の値上げは、卸を救済するのが目的だった」と、アッケラカンとして答えた。バブル期の人件費や物流費などの上昇が、卸の経営に重くのしかかった、との説明だった。
4社横並びの価格改定は、「長年にわたる業界の慣行なのか」「この業界は、メーカー、卸、小売りが一体になっている」などと、担当して間もなかった筆者は思った。
1990年頃まで、ビールをはじめ酒類は、酒販免許をもつ約15万軒の酒販店でしか購入はできなかった。しかも、4社のどの銘柄を、全国どこの酒屋で買っても、同じ値段で販売されていた。一部のプレミアムビールを除けば、シェアが5割弱だったキリンも、他の3社も同じ定価だったのだ。
定価販売のもと、メーカー、卸、小売り(酒販店)の三層は利益を分かち合う仕組みができていた。建値制(たてねせい)と呼ばれ、販売価格の取り分はメーカー7、卸1、小売り2の割合。メーカーの取り分が多いが、日本の高い酒税を支払うのはメーカーであり、CMなどの広告宣伝もメーカーが担っていた。
国とビール4社の持ちつ持たれつ
さらに、国はメーカーに対して年間2000キロリットルの最低生産数量を課していた。このため、大手資本でなければ工場を建設できず、新規参入は難しかった。「高い酒税を支払う代わりに、新規参入はない」という、国とビール4社はいわば”持ちつ持たれつ”の関係にあった。
メーカーも流通も競争環境にありながらも、販売免許をはじめとする規制によって保護されていた。このため、自分たちの秩序を大切にしようとする風土が、自然と醸成されていた側面は、もともとあった。
しかし、80年代後半から規制緩和の波が押し寄せていた。89年には酒類販売が段階的に自由化されることが決まる。91年には大規模小売店舗法が改正(緩和)されて、スーパーや百貨店などの大型店の出店が容易になっていく。
ビール業界の構造が大きく崩れたのは1994年。当時のスーパー最大手のダイエーによってだった。

