どんな練習でも誰よりも選手を見る

ある年、鹿島がタイトルをかけたビッグゲームに臨んだ日のことだったという。当時、二軍に相当するサテライトの選手だった鬼木は、ジーコを中心としたトップチームがその重要な試合に勝ち切る様をスタジアムで目撃した。ゲーム後は興奮冷めやらぬロッカールームで全員揃って喜びを分かち合った。すると、まだ歓喜の余韻に浸っている最中に、ジーコが鬼木のほうを向いて言った。

――明日のゲームはとても大事だな。絶対に勝つんだ。

ジーコの言葉通り、翌日にはサテライトの試合が予定されていた。

「なんかびっくりしたんです。自分からしたら、トップチームのこんな大事なゲームに勝った直後に、翌日の僕らのサテライトの試合にまで気持ちを向けられることが信じられなかった。現役の選手がそこまで見ている。あのときの驚きは今でも残っています。

だから、自分もどんな練習でもどんな試合でも、誰よりも長く隅々まで選手のことを見ないといけない。自分も勝負にはこだわっているし、そのパッションの部分は自分が一番、持っておこうと思っています」

もう30年以上も前のことだが、鬼木はまるでつい先日のことを話すような鮮明さと熱量で振り返った。あの頃の体感が、プレーの質や戦う姿勢に対する鬼木の「基準」になっていることが伝わってきた。

“勝負どころ”を感じる力

気付けば約束の時間が過ぎていた。

それから少しの間、私は鬼木とワールドカップについて雑談を交わした。

日本がブラジルに敗れた試合も含め、数々の監督たちの決断について、例えば2点ビハインドとなった後半途中から主力メンバーを交代させ、逆転勝ちをもぎ取ったベルギーのリュディ・ガルシアの采配や、逆に残り数分から1点リードを守り切る態勢に入って逆転負けを喫したイングランドのトーマス・トゥヘルの決断について、素人だてらに問う私に対して鬼木は「正解はないですから、難しいですよね」と微笑むだけだった。

ただ、最後にひと言だけぽつりと言った。

「どこが勝負どころなのか。そこを感じる力というか、勘というか。自分はやっぱりそこだと思うんですよね……」

新しいシーズンが開幕したのはそれから数日後のことだった。

鹿島アントラーズは後半途中の時点で2点のビハインドを負いながら、そこから選手交代によって流れを変え、劇的な逆転勝ちを収めた。テレビ画面には、勝者となった鬼木が映し出されていた。私はその光景を見つめながら、あの日の最後の一言を思い出していた。

当然のことながら私はまだ、日本で最も勝っている監督のほんの表面的な一端に触れたに過ぎない。なぜ鬼木が勝者でいられるのか、そこにはまだきっと幾つもの理由が存在するはずだ。

だから、また会いに行こうと思った。

(文中敬称略)

練習後のグラウンドを見つめる鬼木監督。
撮影=齋藤葵
練習後のグラウンドを見つめる鬼木監督。