コミュニケーションがおっくうになった?
病気が経営者の判断に与える影響として、「コミュニケーション能力の低下」「判断力・思考力の低下」「組織運営の機能不全」などがあげられる。
リモート会議どころか、メールや電話すら存在せず、リアルタイムのコミュニケーション手段が対面しかなかった時代である。武田信玄が「トイレを豪華に大改装して執務室にした」というエピソードはユーモラスに語られることが多いが、よく考えていただきたい。
武田信玄の「47歳という年齢(しつこいようだが繰り返す。戦国時代の47歳は『老人』である)」と財力と権力があるから忘れそうになるけれど、これはまぎれもなく「高齢者の引きこもり・閉じこもり」ではないか。「外界とのコミュニケーションを最小限にする」のは「コミュニケーション能力が低下している」からである。
心身の老化が進む負のスパイラル
重要なことは、こうした「高齢引きこもり」が運動機会を減らし、社会生活機会を減らし、さらに老化を進行させ、そして進行した心身の老化が、さらに運動機会や社会生活機会を減らす、という負のスパイラルに陥ってしまうことにある。
武田信玄の場合、義信事件の後も今川氏真を追放して今川氏を滅亡させたり、北条氏との小競り合いをしたりと、「積極的に活動しているように」みえる。しかし史料をチェックしてみると、基本的には書状での外交活動や司令・決裁業務がほとんどで、みずから出陣している事例は多くない。
武田信玄の決裁事項がどのぐらいの分量だったかは、『甲陽軍鑑』の信玄の遺言である程度知ることができる。元亀4年(1573)の項から。
「信玄(信玄自身のこと)は身体の衰弱が5年ほど前から重篤なものであると考え、判だけをしるした紙を800枚あまり用意した」
と仰せになり、長櫃から取り出しなされて重臣たちに渡して仰せになった。
「諸方から書状が送られてきた場合、返事をこの紙に書くように。『信玄は病床にあるが、いまだ存命である』と聞けば、他国から当家に手をのばす者はいまい。また、わが領国をとろうなどとは、夢にも思わないであろう。信玄に国を取られないように用心するばかりであろう。それゆえ、3年の間、わしが死んだことを隠し、国内を平穏にしておくように」

