「悪用」の可能性を考えていなかった

ここから逆算すると、武田信玄は「決裁を終えた外交文書でさえも年間260枚ちかく発給している」状態だった。旧暦は一年が350日なので、外交文書だけでもほぼ毎日チェックして決裁していた計算になる。内政の決裁文書や目を通して却下や差し戻しにした文書はこの何倍にもなることを考えると、武田信玄の引きこもり生活の多忙ぶりと筆まめぶりがうかがえる。もちろん、引きこもったからこそ多忙になった可能性がある。

「在印古文書」より、武田信玄朱印状
「在印古文書」より、武田信玄朱印状(「国立国会図書館デジタルコレクション」より一部加工)

しかしこの「署名だけの白紙の大量調製」の最も重要な問題は、「大量の署名した白紙文書が悪用される可能性を、武田信玄自身はまったく考えていない」ところにある。

いうまでもなく、これは武田信玄の、明らかな判断ミスだ。「直接面会して意見を交わせる相手が信頼できる者だけだから、裏切る可能性を考えられない」という、典型的なコミュニケーション不全の状態である。これが現役を引退しているならばいざ知らず、圧倒的なカリスマと権限を独占したまま、さまざまなコミュニケーション能力が低下しているのだから、まぎれもなく「老害」の状態にある。

引きこもり生活に起因する2つの大ミス

武田信玄の高齢引きこもり生活が引き起こしたミスは大きく2つある。

第1に後継者づくりの判断ミス。

第2に自分の健康への過信による判断ミス。

第1の後継者づくりの判断ミスについては、「優先順位の判断ミス」「後継者への引き継ぎ時期のミス」「後継者の人選ミス」が複合している。

武田信玄の遺言で「5年ほど前から体調をくずした」とある。すなわち、後継者・義信を自害させた後、体調を崩したことを自覚していながら後継者の指名をせず、後継体制をつくらず、豪華な水洗トイレをつくることと、そこに引きこもって文書の作成をしていたのだ。明らかに優先順位の読み間違いである。

長男・武田義信の謀反が発覚し、自害させた後でも、武田信玄には、後継者を育てるだけの時間的余裕はあったし、人材もあった。義信事件が発覚したとき、後年に武田信玄の後継者に指名された武田勝頼は22歳だった。15歳で元服(成人)した当時としては十分な年齢である。知識や経験に乏しいのは当然で、実務をとらせて経験を積ませるだけの時間は十分にあった。

にもかかわらず武田信玄は武田勝頼に後継者教育をしている様子はうかがえない。そのうえ、遺言では「勝頼をとばして孫の武田信勝(遺言当時7歳)に家督を譲り、勝頼は信勝が成人するまでの一時的な後見人とする」とまで残している。