「女で大丈夫なのか」という視線のなかでの出発
女性が職場に少ないと、何かミスがあれば必ず目立ってしまうし、「これだから女は」という視線で見られてしまう業種はまだまだ多いでしょう。私が機長になった3年前も、国内では前例がないので「女で大丈夫なのか」という声と視線の中で仕事が始まりました。そうした視線の中で認められるためには、周りの誰かに助けてと言う前に、自分がその仕事をこなせることを自分自身で証明するしかありませんでした。
でも、振り返ればこの10年間で、会社の雰囲気もずいぶんと変化してきています。日本では女性機長の数が国際的に見ればまだまだ少ないですが、それでも徐々に増えてきています。
その過渡期に当たった私たちが当たり前のように仕事をこなしていれば、女性が機長をしていることが、いずれ当然のこととして受け止められるようになるはずです。
そうすれば次にパイロットになろうとする女性たちが、きっと増えていくでしょう。社会での男女の意識は、そんな風にして徐々に変えいくしかないのだと思っています。
●手放せない仕事道具
副操縦士時代は右半身を日焼けし、機長になった今は左半身に紫外線を浴びる。日焼け止めは欠かせないアイテムだ。
●ストレス発散法
海外の航空会社でパイロットをしている夫とFaceTimeで話すこと。飲みながら愚痴を言うこともある。
●好きな言葉
神様は、乗り越えられる試練しかその人には与えない
1968年、東京都出身。国内の大学を卒業後、アメリカで操縦免許を取得。派遣社員として働きながら資金を貯め、採用の機会を待った。1999年、JALエクスプレス入社、2000年より副操縦士として活躍。10年、日本で初めての旅客機の女性機長となる。
構成=稲泉 連 撮影=宇佐美雅浩