OLとして働き、資金を貯める
アメリカではパイロットになるためのプロセスが日本と違って、小型機の免許を取得後にインストラクターとしての経験を積み、次に航空会社に雇用されて50~100人の飛行機を操縦する――とステップアップしていく形です。ただ、私の場合は紆余曲折があって、インストラクターのライセンスを取ろうという頃に貯金が尽き、日本に戻らなければならなくなったんですけどね。
帰国後は家電メーカーの契約社員として働き、ライセンスを続けて取得するための資金を貯めました。新聞社のヘリコプターなどを操縦している女性パイロットに話を聞きに行って、アドバイスを貰ったのもこの時期です。
そんな中、JALの子会社としてJALエクスプレスが創設され、パイロットの募集があることを知ったのは1998年のことでした。
入社試験を受けた日は、「このチャンスを逃すわけにはいかない」と本当に緊張しました。JALグループが航空大学校や自社養成以外の人材にも門戸を広げた初めての採用だったので、コツコツやっている間についに門が開いた、これが日本でのエアラインに就職できる最後のチャンスかもしれない、という思いで申し込んだからです。