※本稿は、つみきち『知らない間に嫌われる言葉、話すたびに好かれる言葉』(サンマーク出版)の一部を再編集したものです。
励ましへの感謝を伝える「言いかえ」
誰かに励まされたとき、「ありがとう、頑張る!」と返すのは自然な反応です。感謝して、前を向く宣言。何も悪いところはないように見えます。
でも、「頑張る」は自分の中だけで完結しています。相手の応援を受け取ったあと、ひとりで走り出してしまっている。すると応援した側は、少し置いてけぼりに感じ、「力になれたのかな?」と、ふと考えることもあります。
それに対して「頑張れる!」はどうでしょう。たった1文字、「れ」が加わっただけ。でもこの1文字で、「あなたのおかげで力が出た」と伝わります。「あなたの言葉があったから頑張れる」という“受け取りのサイン”が入る。応援した側にとって、「自分の言葉に意味があった」と思える瞬間です。
これと同じような構図が、実は他の場面でもあります。たとえば誰かに遊びに誘われたとき、「楽しみ!」と返すか、「楽しみができた!」と返すか。「楽しみ」は自分の気持ちを伝えているだけですが、「楽しみができた」は、「あなたが誘ってくれたから、私の日常に楽しみが生まれたんだよ」という意味になる。
ここでも、自分だけで完結していた感情に、相手の存在が加わっています。“私の感情”が“あなたのおかげで生まれた感情”に変わるわけです。
「そんなことないです」をアップデート
褒められたとき、反射的に「そんなことないです! 私なんて全然です!」と返してしまうこと、ありませんか? 日本語の会話では、それが“礼儀”のように感じられる場面も多いでしょう。謙遜は文化として根づいています。
ただ、褒めた側の気持ちを少し想像してみてください。「素敵ですね」と本心で伝えたのに、「そんなことないです!」と全力で否定される。すると「余計なこと言ったかな?」と不安になったり、「次から褒めるのやめておこう」となったりする。褒めた側が傷ついてしまう、という逆転現象が起きることがあるのです。
「私なんて全然です」は、「あなたの目は節穴ですよ」と言っているようなもの……と言ったら大げさかもしれませんが、そんな解釈もできますよね。
褒めるのは、ちょっとした勇気がいる行為です。その勇気ごと突き返されると、人はだんだん口を閉ざすようになります。
「そう言ってもらえるなんて光栄です」は、自分を大きく見せているわけではありません。相手の“褒めてくれた行為そのもの”に感謝している。「あなたがそう見てくれたことが嬉しい」というニュアンスです。
謙遜は相手への敬意ですが、受け取ることもまた敬意です。