「勉強」と「学習」の決定的な違い

私はよく、保護者の方に「勉強と学習は違うんですよ」とお話しします。

「勉強」という言葉は、させられるもの、少し嫌なものというイメージが強くありませんか。家電量販店で店員さんに「もうちょっと勉強してよ」と言うとき、それは「もっと知識を増やして」という意味ではなく、「もっと値段を安くしてよ」という意味ですよね。言葉の成り立ちから見ても、「勉」は「つとめる」、「強」は「いる」と書きます。つまり「勉強」とは、「気が進まないことを、勉めて強いる」ニュアンスを含んだ言葉なのです。

一方で、「学習」の「学ぶ」という言葉の語源は、「まねぶ(真似ぶ)」だといわれています。「真似をする」行為の根っこには、必ず「あこがれ」があります。「お母さんみたいに料理ができるようになりたい」から、おままごとで真似をする。「憧れの選手みたいに活躍したい」から、フォームを真似する。「歌の上手なアーティストみたいになりたい」から、歌い方や表情を真似してみる。

「あんなふうになりたい」「これができるようになりたい」という前向きな気持ちがあるからこそ、人は自分から学ぼうとします。これこそが学びの原点です。

『学問のすすめ』で知られる福沢諭吉は、「天は人の上に人を造らず」という有名な言葉のほかに、「お湯を沸わかすことも学問だ」と説いています。自分が温かい飲みものを飲みたい、自分で料理をしたいと思ったとき、それを実現するための力をつける。

これらすべてが立派な「学習」だというわけです。

自分がやりたいこと、自分が高めたいことに向かって、自分のために取り組む。それが「学習」です。

自宅でラップトップで勉強
写真=iStock.com/simon2579
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AIを「勉強から逃げるための道具」にしないために

今の子どもたちは、どうしても「タイパ(タイムパフォーマンス)」や「コスパ(コストパフォーマンス)」に敏感です。「そんなことを覚えても意味ないよ」「テストに出ないのに、なんでやるの?」という言葉を、無意識のうちに浴びていることも少なくありません。

なりたい姿や憧れがまだ見つかっていない子にとって、「とりあえず受験勉強を頑張りなさい」と言われても、なかなかエンジンはかかりません。

「この仕事に就きたい」
 ↓
「そのためには、この学校に行く必要がある」
 ↓
「だから、今この勉強をする意味がある」

この流れが見えたとき、子どもたちは「自分のために学びたい」というスイッチが入りやすくなります。AI時代の子どもたちにとって大切なのは、「勉強させられている」状態から、「自分の夢や憧れのために学習したい」状態へと、少しずつでもシフトしていくことです。この価値観の転換がないままAIを渡してしまうと、AIはどうしても「勉強から逃げるための道具」になってしまうのです。