「正しさの罠」に陥っていないか

マネジャーという役割に就くと、自然と情報が集まり、意見を求められ、意思決定の権限も手にするようになります。やがて、組織の中で自分が持つ「権威」や「パワー」の重みを自覚するようになるでしょう。

そうなると、マネジャーとして業務の全体像を誰よりも把握し、的確な判断を下しているという自負が芽生えてきます。それが次第に、「自分の考えの方が正確で、より合理的だ」という意識を強めていきます。

気がつけば、メンバーを導こうとして意見を押しつけたり、失敗を未然に防ごうと細かく介入したりする。どれも一見すると「責任あるマネジメント行動」に見えます。

厄介なのは、本人にとっては善意からの行動に見えることです。「自分が甘すぎたのではないか」「もっと厳しく接することこそ、メンバーを鍛えるために必要なのではないか」――そんなふうに自問しながら、あえて部下に苦言を呈することについて自己正当化してしまうのです。

私はこの現象を「正しさの罠」と呼んでいます。これまでに、何人ものマネジャーがこの罠に陥るのを見てきました。これはひいてはパワハラの温床になりかねません。

その態度の裏にはどんな感情があるのでしょうか? 「自分の方が深く考えている」「相手はまだ未熟だ」――そんな無意識のバイアスが、知らぬ間に染みついてはいないでしょうか。

あなたが正しさを語るたびに、部下たちはうなずきながらも反論することなく、少しずつ静かに心を閉ざしているかもしれません。気づけば「裸の王様」になっていることさえあります。

「論理で打ち負かすこと」が正義ではない

今日のビジネスの世界では、論理に基づいて議論することが当たり前のように語られており、筋の通ったロジックで他者を説得したり、打ち負かしたりすることが評価されがちです。

実際、「論破」という言葉にも象徴されるように、相手を論理で打ち負かすことが、あたかも正義であるかのように捉えられがちです。

感情を排除し、事実と論理に基づいて意思決定を下すことは、一見すると最も正しく、合理的なリーダーのあり方に見えるかもしれません。けれどもそのたびに、周囲の人々があなたの顔色をうかがい、口をつぐむようになると困ったことになります。反論が減り、会議では静寂が支配し、誰も本音を語らなくなります。

忖度と保身がチームに蔓延し、意思決定は早くなったように見えても、チームはやがて停滞し、創造性も助け合いも失われてしまうでしょう。

こうした状態が続くと、チームは互いに距離を取りながら、割り振られたタスクを淡々とこなすだけの「作業集団」になっていきます。果たしてそれは、私たちが目指す組織の姿でしょうか?