豊田章男・豊田家の「執念」

トヨタはなぜセンチュリーを独立ブランドにしたのか。私の見立てではあるが、これは豊田章男会長、というか豊田家としての執念、といったものではないかと考えている。

豊田章男会長は、今までの歴代豊田家が築いてきたビッグネームの復活に心血を注いできた。まずはカローラ、そしてクラウンである。

この2モデルを、トヨタを代表する車種ブランドとして復活させると同時に、事実上国内専用ブランドだったクラウンを海外展開させたのである。

マーケティング的な勝算があっての決定ではなく、豊田会長の思いがすべてではないかと考えている。そして今回はセンチュリーの番である。

レクサスとセンチュリーの歴史的関係

前述したとおり、センチュリーは事実上国内専用で、日本での知名度は高いが日本国外ではまったく知られていないといってよい存在だ。トヨタの最高級車はレクサス、というのが世界的な認識である。

1989年にレクサスをアメリカに導入したとき、当時社長だった豊田章一郎は難色を示したという。レクサスはアメリカトヨタ主導で作られたものだ。豊田家が作ったわけではないブランドを、「トヨタ」の上位に据えるのを豊田章一郎は嫌ったのである。

それゆえレクサスは当初は日本に導入されず、海外でレクサスとして売られていた車種も国内ではすべてトヨタブランドで売られた。レクサスが日本に導入されるのは16年後の2005年になってからである。