中東の市場なら日常茶飯事の「吹っ掛け」に屈した

①なぜ日本は70年代のアラブ産油国の「石油戦略」に過剰反応してしまったのか

オイルショックがあった1970年代当時、アラブ側は日本だけでなく、欧州諸国にも強烈な政治的圧力を掛けていた。英仏をはじめとする多くの西欧諸国はこの圧力に屈して従来の対イスラエル政策を見直している。その意味では、1973年の日本の官房長官談話にもそれなりの理由はあったと思う。だが、既に述べた通り、この対イスラエル政策変更は、不必要とまでは言わないが、結果的に、過剰反応であったと考える。

今から振り返ってみれば、日本は「一神教の世界」に対しあまりに無知だった。当時は日本全体が、中東のスーク(市場)であれば日常茶飯事である「吹っ掛け」「ぼったくり」に、いとも簡単に屈してしまったのだから……。「百戦錬磨の強かな欧州諸国」に比べれば、あまりに「馬鹿正直な日本」だった。情けなくもあり、悔しくもある。今度の「大地殻変動」で日本は、決してこのような過ちを繰り返してはならない。

ヨルダンの首都アンマンの市場
写真=iStock.com/Edda Dupree
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現地社会は「性悪説」で成り立っている

②なぜ日本はイスラエルとの関係を不必要に15年間も凍結してしまったのか

オイルショック当時、欧州諸国は水面下でイスラエルとの経済・技術的な交流を続けていた。これに対し、日本ではイスラエルが「悪者」ということになり、関係は事実上凍結された。日本の民間企業が「非友好的」な国家を差別する「アラブ・ボイコット」を極度に恐れたことも原因の一つだろう。しかし、アラブは「欧米植民地主義の犠牲者」であり「アラブ民族主義には大義がある」という1970年代当時の学界の潮流も大きく影響したに違いない。