江戸時代最大のミステリー

死亡する前の月、すなわち安永8年(1779)11月、源内はみずから奉行所に出頭し、酒のうえの過ちにより、人を斬り殺したと申し立てた。だが、実のところ、この事件については源内の動機はおろか、被害者がだれであったかもたしかではない。

キセルを手にした源内の肖像を描いた高松藩家老の木村黙老による『聞まゝの記』には、被害者はある大名の庭の普請を請け負った町人だと書かれている。それによれば、この大名は普請に巨費がかかると知って、念のために源内に相談。すると源内は、自分なら経費の大幅削減が可能だとうそぶいたという。

その結果、最初に請け負った町人と源内のあいだで争いになったが、源内とその町人が共同で工事を請け負うことで和解し、手打ちのための酒宴が開催された。源内と町人は飲み明かしたが、翌朝、源内が起きてみると設計や見積もりの書面がない。町人を問い詰めたが覚えがないというので、争いになった末、源内が町人に斬りかかった。