カルロス・ゴーンの驚き

「あなたは71歳なのに、どうしてそんなに若いのか? その秘密を私は知りたい」

仙台出張を前にした4月2日午後2時10分。東京・大手町の高層ビルの一室で、カルロス・ゴーン日産自動車社長(当時)は、いつもの早口で鈴木修に話しかけた。もうすぐ共同記者会見が始まるが、二人が顔を合わせたのはこのときが初めてだった。

「それは、現場を回っているからですよ」

好奇心の固まりのようなゴーンの一点を見つめる視線に応えて、鈴木修はゆっくりと話した。ゴーンは、「それだけですか?」と突っ込むと、鈴木修は柔らかな笑顔を作ってナイフのような言葉で返した。

「スズキは浜松の中小企業。日産さんのような大手さんに踏み潰されないよう、必死に頑張るしかないのです。だから、私は年など取っている暇がない」

カルロス・ゴーンは、金融商品取引法違反および特別背任の疑いで起訴されたのち、保釈中の2019年12月に国外へ逃亡。現在はレバノンで暮らしている。

しかし、01年当時は経営危機にあった日産を迅速に再建していく、フランスからやって来た名経営者として称賛されていた。鈴木修より、ゴーンは24歳年下である。

「あなたはどうしてそんなに若いのか」と驚愕するゴーン元日産社長(現在国外逃亡中)。
撮影=塩沢槙
「あなたはどうしてそんなに若いのか」と驚愕するゴーン元日産社長(現在国外逃亡中)。

スズキの日産へのOEM供給の裏事情

このときのスズキと日産の提携は、スズキが日産に新型軽自動車「MRワゴン」を1車種、月間3000台程度、2002年からOEM供給するという内容。

ゴーンは1999年に仏ルノーから日産に入り、この年の10月に村山工場閉鎖などを柱とする「日産リバイバルプラン」を発表。12月に、当時は東銀座にあった日産本社で筆者はゴーンを取材した。このときゴーンは、「日産はフルラインメーカーだ。“ミニカー“も含まれる」と発言をした。実は、ミニカーが何を指すのか、筆者にはわからなかった。マーチのようなミニカー(小さな車)を意味しているのだと理解してしまい、「日産の軽自動車参入」については記事では触れることができなかった。抜かった話だったが、記事は当時月刊誌だったプレジデント誌に掲載された。

本書の取材で初めて分かったのだが、日産からのOEM要請を鈴木修は当初、二度にわたって断っていた。「(2000年12月まで日産の資本が入っていた)スバルに頼むのが筋」、と。

永井隆『軽自動車を作った男 知られざる評伝 鈴木修』(プレジデント社)
永井隆『軽自動車を作った男 知られざる評伝 鈴木修』(プレジデント社)

それでも、最終的に引き受けたのは、日産の軽参入は優遇的とされる軽自動車税を維持するのに大きな意味を持つ、と鈴木修が判断したためだった。

スズキの元役員は指摘する。

「ルノーの資本が入る前、つまりゴーンが来る前の日産は、軽自動車の優遇税制を潰そうと躍起になっていました。軽がたくさん売れると、マーチが売れなくなってしまいますから。日産渉外部のロビー活動は凄まじく、トヨタ渉外部以上でした」

そんな天敵が、向こうから軽陣営に入ってきたのだ。体制が変わったことでだった。