11歳で小学校を中退、セツは1週間泣き続けた

「大試験」に合格しても、小学校から下げられると知ってセツは悔しかった。それほど勉強に熱心でない同級生でも、小学校の上等教科に進んで、もう4年も学校に通えるのだ。それに、前の年の9月には松江女子師範学校が設立されて、女の子にも上等教科卒業後、その上の学問ができるような道が開かれたのである。11歳のセツには、貧乏の何たるかを真に理解することができなかった。彼女は泣きに泣いた。1週間も泣き続けたのである。女の子に学問は要らない、かえって害になる、と言ってセツをなだめようとした大人に、彼女は紫式部や清少納言の例を引いて言い返し、悔しがるのであった。

セツが卒業した明治12年(1879)における、島根県の下等教科の修了者数は、同教科の児童総数の5パーセントにも満たない。そのために県は、卒業に達した者に賞を与えたのである。

さらに、女の子について言えば、明治11年に中原小学校で実際に登校していた児童のうち、女の子はその2割強に過ぎず、また島根県全体で、セツとともに下等教科を卒業した女児は、その年に卒業した児童全体の9パーセントに満たない220人であった。それだけに、セツがいかに学校が好きで、上等教科への進学を切望していたか、そして、いかに学校から下げられるのを嘆き悲しんだかが分かる。