この旅に、終わりはない

「運がよかったんだよ」

鈴木修は、よくこう言う。日本経済新聞社の『私の履歴書』に登場する多くの引退した経営者のように、「自分がやった」といった手柄話はまずしない。なぜなら、鈴木修は現役の経営者だったからだ。彼は、経営という名の長い旅を続けている。この旅に、終わりはない、と自分で決めていた。

ちなみに『私の履歴書』への登場を、鈴木修は嫌っていたし、最後まで出なかった。「親がどうで、出身がどこで始まり、こんな手柄があったとか……、あんな自慢話をよくぞ世間にさらせるものだ。俺には恥ずかしくてできん。昔の自慢ができるほど、経営は甘くはない」などと、個別の取材のときには繰り返し話していた。

この頃会見では「ボケない限りはやりますので、これからも宜しく」と戯けて話し記者たちの笑いを誘うが、ボケてる暇などはない。それが現実だった。

「軽自動車を減産します」

「よし、決めたぞ!」

長考したわけではなく、まして悩み抜いた末の苦渋が伴ったわけでもない。

さわやかな夏の朝を迎えたスズキ会長兼CEO(最高経営責任者)の鈴木修は、浜松市蜆塚にある自宅で朝食を前に、“あること”を決断する。

2006年8月に入り、例年になく長かった梅雨がようやく明けて太陽が顔を出す。太陽の出現と同じように、経営者は新たな光を求めて決断した。

浜松市高塚町にあるスズキ本社は、連結売上高が2.7兆円に達する(2006年3月期)企業の建屋とは、失礼ながら思えない古い三階建てだ。価格が安い軽自動車で利益を上げるため必要でないものには投資しない鈴木修の経営姿勢が窺える。が、既にこの頃、建屋の中身は意外にハイテクだった。主な役員室にはカメラが設置されていて、会長室から各役員の動静をモニタリングできるし、すぐに連絡することもできる。出社すると鈴木修は役員を集めて、決断内容を伝えたが、部長以下の社員は誰も知らない。

8月9日午後、新幹線で上京。東京駅近くのビルで、鈴木修は3時には緊急会見を開いて、決定を公表した。

「軽自動車を減産します」

自動車業界にとって、“夏の衝撃”となる。なぜならスズキは、1973年にホンダを抜いて以来05年まで、33年間も軽自動車トップメーカーだったからだ。