昨年94歳で亡くなった鈴木修元相談役は、現場を回りコスト意識を隅々にまで行きわたらせていった。それは取引先の部品メーカーにまで及んだという逸話が残されている――。

※本稿は、永井隆『軽自動車を作った男 知られざる評伝 鈴木修』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。

鈴木修氏
撮影=上野英和
鈴木修氏

「修会長がいらっしゃる」

磯﨑拓紀が大学を卒業し、スズキの「経営研修制度」を使いスズキ自販近畿に入社したのは2003年。基幹店である東大阪営業所に配属されて、営業マンとして社会人のスタートを切った。

働き始めて1年が経過する頃、ある情報により、営業所は緊張の渦に包まれる。

「修会長がいらっしゃる」

営業所に鈴木修がやってくるのは、この半年後である。が、この日を境に所内で連日のように対策会議が開かれる。

新入社員の磯﨑が「まだ、時間はありますけど」と言うと、「何かあるとな、社長が飛ばされるんだ」と上司は真顔で答えた。

社長とはスズキ自販近畿の社長を指す。

鈴木修が毎年秋に、工場監査を始めたのは1989年秋から。丸一日かけて工場の隅々まで歩き、無駄がないかをつぶさにチェックするのだ。技術屋ではなく、鈴木修は事務屋だ。生産技術に先入観がない分、逆に容赦がない。コストアップ要因を指摘し、改善を求める。必要とあらば、工程の班長、さらには作業員にも質問を浴びせる。その一方で、決して褒めたりはしない。

ショールームから整備工場、倉庫まで…

「工場にはカネが落ちている」。「重力と光はタダだ」(電気やガスを使わないようにする戒め)。「健康のために歩いているのか」(部品を歩いてとりに行く時間を削減せよという戒め)。「1部品、1グラム、1円低減」(軽自動車の新規格が導入され一回りサイズが大きくなった98年当時、生産現場に一層のコストダウンを促すために使った)。「小・少・軽・短・美」(製品や部品、設備まで含め、いかに小さく、少なく、軽く、短く、するかが、コスト低減と生産するクルマの燃費向上につながる)……。

だが、広い工場だけではなく、鈴木修は販売店にも監査にやってきていた。

「いつも現場を回っている私と、社長室で役員の報告を聞くだけの社長とを一緒にしてもらっては困る」の言葉通りだった。が、来訪を受ける現場は、緊張感に溢れかえる。

販売店にはショールームだけではなく、整備工場もあれば、サービスパーツを保管する倉庫、事務所、駐車スペースもある。

対策会議では、鈴木修がどういう経路で視察を行うのかを、まずは想定していく。いわゆる導線を決める。その上で、足りないモノ、無駄なモノ、見られると困るモノなどを選定。一部のドアを自動ドアにするなど、設備も更新していく。

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