「若者がお年寄りを支える」は当たり前ではない
「だから、日本の未来は暗いのだ」といった意見はメディアでもよく見かけるところです。しかしほんとうにそうでしょうか?
この説には、ひとつ、思い込みがあります。それは「若者がお年寄りを支えるべきである」という前提です。
だって、年齢を重ねたすべての人を若者が支えなくてはいけないなんて、よく考えたらおかしくありませんか? お金を持っているおじいさん、おばあさんもいれば、お金を持っていない若者もいるのですから。
現在の「若者がお年寄りを支える」社会保障の思想は、決して当たり前ではありません。少し前の時代の人間の都合にあわせてつくられた、ひとつの制度にすぎないのです。
ではどうするか。ここで、世界(ヨコ)に目を向けてみましょう。
「困っていない人」が「困っている人」を助ける
かつてヨーロッパ諸国は日本より先に少子化が進んでいたのですが、20世紀末ごろに社会保障に対する考え方を変えることで、社会の在り方を大きく変化させました。
社会を年齢で分けることをやめ、「困っているか、困っていないか」を基準にしたのです。
若者が無条件に高齢者の面倒を見るのは、もうやめよう。その代わり、年齢にかかわらず「困っていない人」がお金を出し合い、「困っている人」を助けよう、と。
「若者がお年寄りを支える」いまの日本の制度では、「困っている若者」が「困っていないおじいさん」を支えるといった、ちぐはぐなケースも生じてしまいます。
たとえば働きざかりと呼ばれる年齢でも、低所得のシングルマザーは「困っている人」でしょうし、年齢的にはおじいさんでも資産の蓄えがたくさんあれば、「困っていない人」と言えるでしょう。
「困り度」にかかわらず、若者が支払う税金で老人の暮らしを支える日本型の仕組みを、英語で「ヤング・サポーティング・オールド(Young supporting old)」と言います。
一方のヨーロッパのようなやり方は、「オール・サポーティング・オール(All supporting all)」。「みんながみんなを支え合う社会」です。