「儲かるのか?」

「列島改造」で上越新幹線、東北新幹線建設のきっかけを作った角栄だが、1985年の時点で国鉄の長期債務は23兆円を超えていた(ちなみに国鉄長期債務の残高は2019年度末時点で16兆円以上残っている)。

第64代内閣総理大臣 田中角栄(首相官邸HPより)

当時の中曽根政権は国鉄改革に頭を悩ませ、国鉄の分割民営化を検討していたが、票田であり集金マシーンである国鉄を擁護する角栄は分割に反対していた。

「高速道路と鉄道が通れば地方は発展する」

角栄の列島改造論はそんな幻想を全国にばら撒いた。だが新幹線が通っても高速道路ができても都市と地方の経済格差は簡単には埋まらず、夢の後には莫大ばくだいな借金が残った。政治家や官僚にとって「鉄道」は鬼門であり、流石の角栄も「新線」には及び腰だった。

追い詰められた秋元は土下座をせんばかりの勢いで叫んだ。

「先生、常磐新線は茨城、千葉と東京を結ぶ大動脈になります。必ず儲かります!」

角栄がピクッと反応した。

「儲かるのか?」
「儲かります。今ある常磐線は日本で一番混む『殺人列車』と呼ばれています。輸送需要は十二分にあるのです。新線が通れば沿線の住民はさらに増えます。絶対に儲かります」
「そうか国鉄は赤字でも、この新線は儲かるか。よっしゃ、わかった!」

角栄はその場で黒電話の受話器を取り、日本鉄道建設公団(鉄建公団、現独立行政法人鉄道建設・運輸施設整備支援機構)や運輸省の幹部と話し始めた。

「ああ、俺だ。今、流山の市長が来ていてな。常磐新線は絶対に儲かると言っている。うん、どうやら本当らしい。市長の話を聞いてやってくれ」

30分の面談が終わり、秋元は田中邸を出た。外は肌を刺す寒さだったが、秋元のワイシャツの背中は汗びっしょりになっていた。

その13日後、角栄は脳梗塞で倒れた。しかし角栄に「行け」と言われた鉄建公団や運輸省の幹部たちは、すでに「新線建設」に向けて動いていた。まさにタッチの差だったが、秋元は「権力」という大きな岩を動かすことに成功した。

「千葉のチベット」と呼ばれた流山

政令指定都市でもないちっぽけな市で、角栄とは縁もゆかりもない流山市長の秋元が目白御殿にたどり着くまでには、かなりの歳月がかかっている。

1981年、当時、秋元は千葉県議会の議員だった。ある日、県の議会で野田市出身の議員が知事に質問した。

「巷で噂になっている常磐新線というのは、我が県のどこを通るのでしょうか」

知事の川上紀一が答えた。

「今のところ県には何も話が来ておりませんが、もしそんな話があるとすれば県としても協力したいと考えておるところです」

秋元はピンときた。すでに野田市は新線の誘致に動いている。野田を通れば流山はルートから外れる。自分と同じ県議だった父親の言葉を思い出した。

「流山にはヘソがない」

1967年の町村合併で誕生した流山市は、それまで東葛飾郡に属していた。現在の市川市、野田市、流山市、浦安市などで構成された東葛飾郡は「千葉のチベット」と呼ばれるほど開発が遅れていた。

流山市の旧市街は市の西側にある江戸川沿いの本町周辺で市庁舎もそこにある。だが常磐線の馬橋から盲腸のようにチョロリと伸びる全長5.7kmの総武流山線(現流鉄流山線)しか走っていない本町は寂れる一方だ。住宅が増えたのは柏と大宮を結ぶ東武野田線の沿線だが、この沿線にも市の発展の核となる街はない。つまり「ヘソがない」のだ。