大人が否定しなければ、自分の非を認められるようになる

このような意識改革が学校全体でできない限り、大人は子どもを否定し続け、子どもが自分を俯瞰的に捉えられるようになっても自分を責め続ける構図は変わらず、結果、自己肯定感を失った当事者意識の欠けた子どもを量産することになるのです。とくに私が「否定しない」ことの重要性を痛感するのは、誰かを説得しないといけないときです。

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メタ認知能力が高い人を相手にする場合は別として、自分の思考パターンや言動パターンに問題がないと信じこんでいる人に対して「それは違うよ。こうでしょう」といきなり否定から入っても、「はい。そうですね」と言う人はまずいません。頭に血が上り、冷静な判断などできなくなり、感情的な対立が起きるだけです。

ただでさえ人は自分のことを俯瞰視しづらいわけですから、自分が良かれと思っていることを真正面から否定されては自分を振り返ることはできません。もちろんそれは子どもにメタ認知をさせるときも同じです。子どもを否定しない、責めない、反省させないことを大人が十分注意して心理的安全性を保つからこそ、思考がちゃんとでき、ときに自分の非を素直に認めることができるのです。

結果ではなく、プロセスを意識させる

子どもたちが自分と向き合う機会を増やす簡単な方法は、子どもたちに結果ではなくプロセスに意識が向くように大人が仕向けることです。正しい褒め方でも書いた通り、多くの大人がついやってしまう「結果を褒める行為」ではプロセスに意識を向ける余裕が生まれません。

プロセスをひたすら褒めるようにすると、子どもたちは「プロセスの質」を求めるように意識が変わっていきます。

その象徴的な例が、麹町中学での定期テストの廃止と宿題の廃止です。定期テストがあると「定期テストで他の生徒より良い点を取ること」が生徒の目的になりがちなので、普段は勉強せずにテスト直前に一夜漬けをする現象が起きます。また、宿題があると「宿題を提出すること」が目的になってしまうので、わかる問題だけ解いてわからない問題を放置する現象が起きます。

本来の学びとは「わからないことをわかるようにする」ことですから、まったく意味のないことに子どもたちの貴重な時間が奪われることになります。とくに宿題は言われたことをこなしているだけで自ら選択したわけではないので、子どもたちは勉強に対してネガティブなイメージを持つようになります。