日本独特の「手のひら返しの両義性」
ベネディクトによれば、日本人は菊を愛でて、菊作りに秘術を尽くす国民性がある一方で、日本刀を崇拝し武士に最高の栄誉を与えます。伝統を頑ななまでに重んじる一方で、進取の精神に富みハイテク機器の開発に優れます。
こうした矛盾した両義性は、西洋の文化ではまったくといっていいほど見当たりません。そしてさらに、日本人の子育ての仕方も日本文化の特殊性に関係があると分析しています。
人生における自由とわがままの度合いを観察すると、日本では子どもと老人に最大の自由があって、横軸に年齢、縦軸に自由度を設定すると、それはいってみれば大きなU字を描くそうです。
これはアメリカとはまったく逆で、アメリカでは子どもに対して厳しいしつけがなされます。老人は人生の経験者として節度が求められます。結婚適齢期の若者には最大限の自由が与えられます。
ベネディクトは、子どもに恥をかかす母親の行動を「からかい」「嘲笑」「つまはじき」と表現しています。つまりこれによって子どもたちは、恥を学ぶのです。そしてこの「手のひら返しの両義性」が、成人したときの「日本人の矛盾した両極端の二面性」につながっていくというのです。
恥をかかせるしつけは、子どもの自尊心をくじく
私の友人、ロサンゼルス在住のレイノルズ氏は、来日したさい電車内の網棚にバッグを置き忘れました。駅員に問い合わせると、その忘れ物はすぐに見つかり、彼は仰天していました。アメリカでは落とし物が戻って来るなどということはめったにありません。
しかし日本ではこれが少しも珍しくないことだと誰もが知っています。置き引きするという行為は日本では大変な恥ですから、万が一そんな行為を人から見られたら恥ずかしいことこの上ないのです。
その一方で、レイノルズ氏は、日本人が電車のなかで老人に席を譲らないことにも驚いていました。その理由は私には何となく分かります。席を譲るという行為は周囲から目立つし何となく恥ずかしい。周りがやっていないから自分もやらないのでしょう。日本人は心のなかに「高齢者に席を譲りたい」という気持ちがあってもなかなかそれを実行できないのです。
ベネディクトが恥の文化を指摘してから70年以上が経ちますが、私たちの子育てや文化はそれほど変わっていないかもしれません。親が子どもに恥をかかせるというしつけはいまでも続いているように思います。
恥を知る。それは決して悪いことではありません。しかし、恥をかかせるというのは、子どもの自尊心をくじきます。
時期を見て、甘やかすのをやめることが重要
親がある時点で子どもに恥をかかせる理由は、あるときにわが子が「甘えん坊」であることに気づくからです。つまり、それまでの育児があまりにも過保護だったと急に反省するのでしょう。子どもは親に甘えてきます。そのこと自体はちゃんと受け入れるべきでしょう。
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