人気に火がつくまで7年かかった
ここは1984年に「海浜公園」として着工、1991(平成3)年10月に開園した。「何もない広大な土地」に植える植物を模索し、答えの1つが、春から初夏の「ネモフィラ」だった。
「日本人は桜に代表されるように、淡い色の花に愛着を持ち、郷愁を感じます。それなら“淡い青のネモフィラ”がいいと思ったのです」(中島さん)
実際にネモフィラを群生させてから、人気に火がつくまで7年近くかかったという。
「パンフレットを持って旅行代理店へ行き、営業もしました。みなさん『きれいですね』とは言うけど、商談には気乗り薄というケースも多かった」(関係者)
「150万人の壁を越えたのはSNSの存在。特に、詩歩(しほ)さんという方のフェイスブックページで紹介されてから脚光を浴びたのです」(中島さん)
詩歩さんは1990年生まれ。世界中の絶景を紹介するフェイスブック「死ぬまでに行きたい!世界の絶景」でフォロワーが集中し、同名の書籍も評判となった。本人が注目した「海浜公園のネモフィラ」が観光名所として紹介されると、入園者も増加し、年々話題が高まった。栽培関係者のまいた種が、20代女性の先見性とSNSという時代性で開花したのだ。
「3つの頂上」によって、見える景色が異なる
もともと「ネモフィラ」は、乾燥にも強くて栽培しやすい。海浜公園で群生する品種も「インシグニスブルー」という流通量の多いもので、ホームセンターなどで手に入り、家庭で栽培できる。もちろん大規模に群生させるには土壌改良や、場所に応じた水はけなどの栽培技術がいるが、冒頭の大阪市の公園のように、他の土地でも追従できる。
今後も「ひたち海浜公園」は差別化できるのか。公園全体の現場責任者である安達明彦さん(ひたち公園管理センター・管理センター長)は、こう説明する。
「みはらしの丘には3つの頂上があり、見る場所によって重なりが違うのも楽しめます。下からネモフィラと人波を見た場合、上からネモフィラと園内を眺めた場合とでも景色が異なります。このロケーションは、なかなかまねできるものではありません」
中島さんもこう続ける。「みはらしの丘の案内所を数年担当したこともあります。ここに来るまで、みなさん大変な思いで訪れます。特に満開の時期は、道路は混んでいるし、大勢の人と一緒に頂上まで歩く。でもここに来ると、とびっきりの笑顔になるのです」。