江戸大際の遊郭で火事が頻発したワケ

また、時代が下るにつれ、中心的な顧客だった武家が財政難に陥り、吉原で遊ぶ余裕がなくなっていった。このため、身分が高く教養がある客を相手にする太夫や格子といった上級遊女が絶滅し、吉原は大衆化路線を歩むことになった。それが蔦重が若かったころの吉原だった。

大名や豪商のような客に頼れず、中下級武士や一般庶民を相手に営業しなければ廃れてしまう。それが蔦重の時代の吉原で、「俄」に力を入れて吉原観光の客を呼び寄せようというのも、大衆化を迫られていたからだった。