「ザ・昭和の父親」と「肝っ玉母さん」
四国地方在住の城崎幸乃さん(仮名・50代)の両親は、知人の紹介で知り合い、製造業に就いていた父親が28歳、家事手伝いだった母親が22歳の時に結婚。翌年城崎さんが生まれ、3年後に妹が生まれた。
「『ザ・昭和の男』で亭主関白な父は、妻や子どもに対して全てにおいて束縛が強く、やることなすこと常に反対をされました。今では虐待に値すると思いますが、娘であろうと躾の意味では手をあげることも多くありました。その一方で、母は芯の強い肝っ玉母さんで、色んな面で支えてくれる人。父の体罰からいつも身を挺して庇ってくれました。そんな母のおかげか家族仲は良く、休みの日には海水浴や遊園地に連れて行ってくれるなど、当時はごく一般的な家庭だったのではないかなと思います」
父親は36歳の時に試験を受け、地方公務員になった。城崎さんはおっとりした性格に育ったが、負けん気が強いところもあり、小学校に上がると学級委員に立候補したりもした。
「父は何に関しても厳しかったですが、門限や、付き合う友達についても口うるさい人でした。特に、珠算検定がなかなか受からなかったときは『他の子にできて、なぜお前にできない?』とひどく怒られたように思います」

友人との付き合いに関しては、片親の子や、家庭環境が良くないと感じた子とは付き合うことを禁止された。
やがて城崎さんが中学生になり、高校受験が迫ってくると、「公立高校へ行け」と繰り返し言われるように。
「父にはことあるごとに『俺の金で学校へ行かせてやってる』と言われていました。それがずっと嫌だったので、早く社会人になれる商業高校に進み、まだ当時はバブルで景気が良かったため、卒業後は大手製造業の一般職の事務として働き始めました」
一人暮らしは父親に許されなかったため、実家から通った。社会人1年目の年に、合コンで出会った5歳上のシステムエンジニアの男性と交際が始まった。
「一度、22時の門限より遅く帰ったときに父が激怒したため、彼は慌てて謝罪に来てくれました。その後、たびたび寄ってくれるようになったので、交際に反対されることはなくなりました。母は一人暮らしの彼にいろいろ食べるものを持たせていて、彼が転勤族だということも知っていたので、『転勤したら、いろいろ送ってあげるわ』と冗談で話していました」