関西経済界が示した慎重論と難色
その後の万博誘致を引っ張ったのは、松井だった。都構想が否決されてから半年後の15年11月の知事選で「万博誘致」を公約に掲げ、再選を果たした。同じ日の大阪市長選では、後に「維新の顔」となる吉村洋文が橋下の後継指名を受けて出馬し、初当選した。
松井は1964年、大阪府八尾市生まれ。福岡工業大学工学部を卒業して、関西電力グループの設備工事会社に勤めた。2003年の府議選に自民党公認で出て、初めて当選した。「親分肌」と評され、自民党府議団の政調会長まで務めた。だが橋下が進めた府庁舎の咲洲(大阪市住之江区)への移転をめぐって党内で意見が割れ、離党した。その後、維新の創立メンバーに名を連ね、重役を担い続けた。
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