死体の一部や衣服すらも販売していた

処刑人が治療したのは人間だけではなかった。

家畜の病気治療も行い、さらに処刑場の死体の一部、衣服、処刑の道具、釘、処刑台の木片、縄などをひそかに販売したり、薬屋へ卸したりしている。これらが各種の病気、難産、不妊に対して効果があると信じられていたからである。しかし、度を過ごした行為が制裁の対象となったことは、死体の皮をはぎ、なめし皮にしたシュトゥットガルトの刑吏が1573年に罰を受けていることからも明らかだ。

浜本隆志『拷問と処刑の西洋史』(講談社学術文庫)
浜本隆志『拷問と処刑の西洋史』(講談社学術文庫)

処刑人が作製したお守りも人気があり、みずから販売している者もいた。たとえば「17世紀のはじめに、パッサウの処刑人のクリスティアン・エルゼンライターは、戦場に出かける兵士たちに、秘密の文字を書いたり印刷したりした紙片を売った。それを肌身はなさず胸に入れておくと、殺傷、欧打、弾丸に対して不死身になる」(W・ダンケルト『不名誉な人びと』)という触れ込みである。

当時、民衆は直接、処刑人からアイテムを買うばかりではなく、夜陰にまぎれて処刑場にいき、みずから死体の一部を切り取ったり、衣服を盗んだりした。また処刑された男性が垂らした精液から、薬草のマンドラゴラが生えるとされ、人びとはこれを手に入れようとした。以上のような迷信は、公開処刑が消滅する19世紀後半まで、人びとの心のなかで生き続けていた。

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