「森永さん、運用という言葉は“運を用いる”と書きますよね。投資がうまくいくかどうかは運で決まるんです」
資産運用のプロ中のプロでさえ、儲ける方法はわからない…今年1月に亡くなった経済評論家・山崎元さんが残した「投資の本質」を、森永卓郎さんの新刊『投資依存症』(三五館シンシャ)より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む)
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投資がうまくいくかどうかは運
じつは、その構造は金融業界でも同じだ。
たとえば、投資信託を買うと、運用会社に毎年信託報酬を支払う。その料率は、比較的料率が低いインデックスファンド(S&P500とか日経平均など、すでに投資の分散先が確定しているファンド)でも、0.05%から1.7%程度だ。
一見、たいしたことがないように見えるかもしれないが、たとえば信託報酬が1.7%だと、10年間運用した場合は、投資金額の17%が運用会社の懐に入る勘定になる。
ちなみに運用会社が投資する銘柄を決めるアクティブファンドのなかには、信託報酬が2%を超えるものもある。ファンドマネージャーが、成長性の高い銘柄を選択することで、より高い利回りを実現するのだから報酬は高くて当然という触れ込みなのだが、アクティブファンドの運用成績がインデックスファンドの成績を上回っている証拠は存在しない。
私の元同僚であり、友人でもあった山崎元氏は、2024年1月に亡くなったが、生前私にこんな話をした。
「森永さん、運用という言葉は“運を用いる”と書きますよね。投資がうまくいくかどうかは運で決まるんです」
資産運用のプロ中のプロだった山崎氏でさえ、何に投資したら儲かるかはわからない。
未来のことは、誰にも予測できないからだ。
それなのに、金融のプロは、さも自分たちには未来が見えるような顔をして、高い手数料を顧客から受け取る。しかも私がおかしいと思うのは、彼らは仕事が成功しても、失敗しても手数料を変えない。
たとえば、投資信託の基準価格が下落すれば、投資家は損失を被る。ところが、そうしたときにも、運用会社は既定の信託報酬を要求する。投資家は泣きっ面に蜂になるのだ。
私の苦情に配慮したわけではないと思うが、最近になって、成果報酬型の信託報酬を採用する投資信託が登場した。しかし、その投資信託の信託報酬の額は法外なほど高く、とても使いものにならない。金融業者というのは、それほど強欲な存在なのだ。
胴元の一人勝ちという意味では、有名なエピソードがある。
19世紀半ばにカリフォルニアでゴールドラッシュが起きた。全米から一攫千金を夢見た採掘者がカリフォルニアに集結した。彼らは、金脈を見つけて富豪になった者と金脈を見つけられずに破産した者に分かれたが、ゴールドラッシュのなかで確実に儲けた者がいた。
採掘者たちにスコップを売りつけた業者だ。